731886 ランダム
 HOME | DIARY | PROFILE 【フォローする】 【ログイン】

未音亭日記

未音亭日記

【毎日開催】
15記事にいいね!で1ポイント
10秒滞在
いいね! --/--
おめでとうございます!
ミッションを達成しました。
※「ポイントを獲得する」ボタンを押すと広告が表示されます。
x
X

PR

Keyword Search

▼キーワード検索

Profile

未音亭

未音亭

Calendar

Rakuten Card

Favorite Blog

まだ登録されていません

Comments

未音亭@ Re[1]:セバスティアン・デ・アルベロ「30のソナタ」(01/15) tekutekuさんへ これまた情報ありがとうご…
tekuteku@ Re:セバスティアン・デ・アルベロ「30のソナタ」(01/15) ジョゼフ・ペインのライナーノーツに関し…
tekuteku@ Re:セバスティアン・デ・アルベロ「30のソナタ」(01/15) ジョゼフ・ペインのライナーノーツに関し…
未音亭@ Re[1]:セバスティアン・デ・アルベロ「30のソナタ」(01/15) Todorokiさんへ コメントありがとうござい…

Freepage List

Headline News

January 14, 2024
XML
カテゴリ:音楽
昨日から大学入学共通テストが始まったことが新聞朝刊で報道されていました。今年もいよいよ受験シーズンに突入ということで、受験生の皆さんは大いにキンチョーしながら試験に臨んでいることと想像します。特に、元日の大地震の影響を被った北陸各地の生徒さんたちは、大きな不安とプレッシャーを感じていると思いますが、まずは問題に集中!ということで頑張ってほしいと思います。

ところで、新聞のページをパラパラと捲っていたところ、ちょうど真ん中あたりの数ページを昨日の試験問題が占拠しているのに気づきました。普段の年ならさっさと通り過ぎるところですが、偶然開いたページにあった国語の第1問題冒頭に「モーツァルトの没後二〇〇年の年となった一九九一年云々…」とあるのが目に止まり、思わず読み始めることに。なかなか面白そうな内容ではあるものの、老眼には酷なアリのような活字サイズには根気が続かず、一旦ギブアップ。文末の出典情報に目をやると、渡辺裕(わたなべひろし)著『サウンドとメディアの文化資源学ー境界線上の音楽』とあります。さらに興味をそそられた亭主、ネット上で検索の上問題文をゲット(例えばこちら)。久しぶりに試験問題を解きながら熟読玩味することに。

問題文として取り上げられている文章では、はじめにモーツァルトの「レクイエム」(モツレク)が通常のコンサートではなく、作曲家の没後200年目にあたって彼を鎮魂するための典礼(追悼ミサ)の一部としてウィーンのキリスト教教会で演奏されたこと、さらにその一部始終が後にLDやDVDとしてリリースされたことを紹介し、これまでモツレクという作品が「典礼」という本来の目的・文脈から切り離され、それ自体でもっぱら「音楽」や「芸術」として享受されて来たこと、およびそれを前述のように本来の文脈に戻したことで浮かび上がる問題に焦点を当てています。

さらには、この状況を「音楽・芸術」と「典礼」という二項対立で考えることが必ずしも問題を的確に捉えてはいないことを指摘し、その証拠として典礼全体があたかも音楽「イベント」のように享受されている点(LDやDVDでの発売も然り)を挙げます。

似たような変化は音楽に限らず、例えばお寺で信仰の対象となっていた仏像についても、博物館の展示室ではモノ自体をガラスケースに陳列し、芸術作品として(宗教とは切り離して)鑑賞するだけだったものが、近年の展示ではその仏像が置かれた文脈をイメージできるように工夫が加えられているとか。

このように、これまで「文脈から切り取って来たモノ=芸術作品」を本来の文脈に戻してみると、「芸術」という概念が19世紀以降に生み出された新しい概念であること、なので、それをあたかも歴史を超えた普遍性を持つ概念であるかのように勘違いしないよう、大いに注意する必要があることを教えてくれる、というわけです。

これはなかなかに深く広い問題提起のように亭主には感じられます。話を音楽に戻せば、「クラシック音楽」というジャンルは、18世紀以前のオペラ(歌手のため)や教会音楽(典礼のため)など、その都度の目的のために作られた「用の音楽」という文脈から音楽を切り離し、それ自体を「コンサートホール」で芸術作品として鑑賞するべし、という19世紀以来の「お約束」で成り立っています。

ひるがえって、この数十年来の古楽ブームをこの観点で眺めれば、まさに音楽をそれが生まれた時代の文脈に戻し、当時の感覚で演奏してみようという試みだと言えます。そしてこの試みの最も肝心なことは、元の文脈に戻された音楽を、「クラシック音楽における芸術作品」としてではなく、「一回きりの音楽」という古楽の文脈に沿って演奏・享受するという点にあります(ここが単なる懐古趣味とは大きく異なる)。

実際、「イベント」という言葉は多くの場合一回きりの出来事を意味します。入試問題文の冒頭に言及されていた「モーツァルトの没後200年追悼ミサ」も、まさに一回きりのイベント。このような音楽が本来持つ機会性・即興性こそが「演奏される音楽」の本質であることを、現代の聴衆、特に「コンサートホール」に座っているクラシック音楽の聴衆は忘れがちです。

とはいえ、問題文の著者が真に言いたかったことは、そのような「イベント性」すらも音楽の本質の一面でしかない、ということかもしれません。

例えば、亭主はこのところ週末になるとバッハの平均律クラヴィーア曲集をハープシコードの上に広げ、気が向くままにページを開いて音にしています。これは、音楽愛好者にとってみれば「ご飯を食べる」ようなもの(No music, no life)。たまさかの「音楽鑑賞」、年に数回のハレの日のための音楽も大事ですが、実は「日常を楽しむための音楽」こそが退屈な日々を送る市井人にとって重要な音楽ではなかろうか、と強く思う今日この頃です。









お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう

Last updated  January 14, 2024 09:50:37 PM
コメント(0) | コメントを書く
[音楽] カテゴリの最新記事



© Rakuten Group, Inc.
X