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カテゴリ:音楽
ベートーヴェン(1770-1827)といえば、その名がクラシック音楽界のみならず一般にもとどろきわたる斯界のスーパースター。クラシック音楽界でも「楽聖」という尊称で特別扱いされる存在です。2020年はその生誕250年という記念の年でしたが、ちょうどコロナウイルスのパンデミックが重なり、全く盛り上がらないままうやむやになってしまったことを残念がる業界関係者も少なくなかったはず。
ところでその2年前、2018年に柏書房から出版されたのが表題の著作です。その穏やかでないタイトルからも想像されるように、本書はいわばベートーヴェンについての虚像とも言うべき人間像を創り出した初期のベートーヴェン伝記作家、アントン・フェリックス・シンドラー(1795-1864)の生涯と事績についてのノンフィクション小説。昨年暮れに河出文庫に収録されたのを機に入手し、そのリズミカルな文体に乗せられて、この週末に一気に読了しました。 本の内容を一言で言えば、数百冊にものぼるベートーヴェンと周辺の人々との会話帳(筆談記録、シンドラー自身とのものも含む)を関係者に無断で我が物とし、その中身を後から改ざん、あるいは不都合なものを大量に破棄する、という「悪業」に手を染めたシンドラーの生涯を、著者がシンドラーに憑依したかのような筆致で彼の内面深くまで入り込んで描いています。 そのような改ざん・破棄の動機は、ベートーヴェンという人格の偶像化。基になっているのは「あのように素晴らしい音楽作品を数多く残したベートーヴェンは、音楽の天才であると同時に人間的にも素晴らしいヒーローであるべき」という信念にあります。つまり音楽作品と作り手の人格を同一視し、後者を理想化するとともに、そのために「不都合な真実」を歪曲・隠滅しているわけです。 20世紀後半のポストモダニズムの洗礼を経由した時代を生きる、亭主のようなスレた音楽ファンにとって、このような芸術家像がなんともアナクロで古臭いことは分かりきっているかのように感じられます。が、その一方で、どうも世の中一般では必ずしもそれが常識とはなっていない、それどころかいまだにそのような芸術家の偶像化がまかり通っているフシがあります。 その証拠の一つは、他でもなく本書が出版後かなり大きな反響を起こし、昨年(2023年)には文庫本化されて河出文庫の一冊として再刊されたことに現れていると言えるでしょう。(文庫本の腰巻きに「ぜひ、この驚きを分かち合いたい。徹夜本です。—宮部みゆき」とあるのもその一端?) 本書の著者も、この辺の事情を本書の「終曲—未来」の章で以下のように嘆きます。「…ポストモダンは結局のところ、近代に敗北したのではないか? 世の中では大河的なベートーヴェン像が主流で、専門家やオタクはさておき、一般人はみな『交響曲第五番』を『運命』と呼び続けているじゃないか…」さらに、21世紀に入ってからは、揺り戻しのようにシンドラーを擁護するような意見も現れるという現状に疑念を呈してもいます。 しかし、亭主から見るとこれは揺り戻しでもなんでもなく、「大河的な大作曲家像」は、クラシック音楽業界が興行のためにそれを必要としている、つまり構造問題の一部をなしているので、将来にわたりそれへの依存から脱却することは困難だろうと思われます。 クラシック音楽が大作曲家というブランドに頼る「演奏家のための興行ビジネス」である以上、大作曲家をアイドル化する(=虚像を創作する)のは最も有効な興行戦略です。周期的に現れる表題のような大作曲家の「偶像破壊」的な本も、興行ビジネスにとっては邪魔になるだけか、せいぜい話題作り程度の意味しかないでしょう。本書の副題にあるように、成功のためなら何でもあり、というメンタリティーでなければ興行師(プロデューサー)は務まらなそう。この基準から行けば、シンドラーの所業も「悪業」ではなくなるというわけです。 ちなみに、本書によるとシンドラーによる会話帳の改ざんが表沙汰になったのは1977年、当時の東ドイツで開催された「国際ベートーヴェン学会」の席でのことだったとのこと。ちょうどこの年、亭主は友人が貸してくれた武川寛海著「ベートヴェンの虚像を剥ぐ」(1977、音楽之友社)という本を大変面白く読んだことを今でも覚えています。武川寛海さんは会話帳改ざんの話は知らなかったはずですが、当時からシンドラーの伝記に疑念を呈していた米国の音楽ジャーナリスト、アレクサンダー・セイヤー(1817-1897)の仕事も知られており(本書でも「最後の刺客」として登場)、武川さんもそれを参照したのでしょう。いずれにせよ、「脚色されたベートーヴェン像」から脱却する試みは19世紀末にまで遡るとも言えます。 とはいえ、興行ビジネスの業界がモラルに無頓着なのは、最近の「ジャニーズ問題」でも露呈したと言えます。ジャニー喜多川氏の所業は業界内で広く知られていたようで、週刊文春はそれを20年以上前から何度となく告発していたにもかかわらず、外国のメディアが取り上げるまで業界は黙殺してきたわけです。表題の本も週刊文春の告発記事と同じで、クラシック音楽業界からは「不都合な真実」としてこれからも黙殺され続けることになるのかも。 それにしても、日本に真の音楽ジャーナリズムはないものかと慨嘆するのは亭主だけでしょうか… お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
January 28, 2024 09:56:05 PM
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