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未音亭日記

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未音亭@ Re[1]:セバスティアン・デ・アルベロ「30のソナタ」(01/15) tekutekuさんへ これまた情報ありがとうご…
tekuteku@ Re:セバスティアン・デ・アルベロ「30のソナタ」(01/15) ジョゼフ・ペインのライナーノーツに関し…
tekuteku@ Re:セバスティアン・デ・アルベロ「30のソナタ」(01/15) ジョゼフ・ペインのライナーノーツに関し…
未音亭@ Re[1]:セバスティアン・デ・アルベロ「30のソナタ」(01/15) Todorokiさんへ コメントありがとうござい…

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August 12, 2024
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カテゴリ:音楽
先週の朝古楽で、「カール5世を取り巻く音楽家たち」という表題の下、16世紀のヨーロッパの歴史に名を留めるハプスブルグ家出身の神聖ローマ帝国皇帝、カール5世(1500-1558)とその時代の音楽が4日間にわたって取り上げられました。カールの生涯における主要な出来事がMCの宮崎晴代さんの軽妙な語り口で紹介され、幼少期に過ごしたブルゴーニュ公国にまつわるフランドル楽派の音楽(ジョスカン・デ・プレに代表される)から始まり、カルロス1世として統治することになるスペインの宮廷音楽家(ナルバエス、モラレスなど)の音楽、さらに宿敵フランスのフランソワ1世・アンリ2世親子の宮廷で活躍した音楽家(セルミジ、ラッソ)のそれに耳を傾ける機会となりました。

16世紀の日本はちょうど室町時代末期の戦国時代。植民地拡大を目指すスペイン・ポルトガルのキリスト教(カトリック)宣教師が布教に訪れ、当時の教会音楽も伝えたと言われています。豊臣秀吉は彼らの演奏するナルバエスの「皇帝の歌」を聞いたとか。(この曲はジョスカンが作曲した有名なシャンソン、「千々の悲しみ(Mille Regretz)」をビウエラ用に編曲したもので、カールが好んだことからその名がついたと言われています。番組初日にも原曲が「終わりなき悲しみ」としてオンエアされました。)明治以前の数少ない日本と西洋音楽との接点という観点からも興味をそそられる音楽です。



ところで、スペイン王室といえば、18世紀の前半にドメニコ・スカルラッティが長く仕え、あの500曲以上のハープシコードソナタを生み出したことで知られていますが、実は当時の王室はハプスブルグ家ではなくフランス・ブルボン家出身のフェリペ5世です。彼はブルボン(スペイン語でボルボン)家出身としては初代のスペイン王で、太陽王ルイ14世の孫にあたります。(現在のスペイン王室・フェリペ6世はその直系の子孫!)

ではハプスブルグ家最後のスペイン王となったのは誰かというと、カール5世(=カルロス1世)の玄孫、カルロス2世(1661-1700)でした。

ハプスブルク家といえば、「戦いは他のものに任せよ、汝幸いなるオーストリアよ、結婚せよ」という箴言が象徴するように、いつのまにか縁戚関係によってスペインを統治するようになります。カール5世は、父方がオーストリア、ポルトガル、およびブルゴーニュ王室、母方はスペイン・アラゴン王およびカスティーリア王の血筋を受け継いだ斯界のサラブレッド。フランドル育ちの彼は当初スペイン語を話せなかったものの、スペインを気に入ったのか、後に親政を行うようでになります。ハプスブルグ・スペインの基礎は彼によって築かれたと言えるかもしれません。




一方で、彼自身は前述の箴言とは裏腹に戦争に明け暮れたことに加え、ハプスブルク家の遺伝病(?)とも言われる痛風に苦しめられて1555年に退位を決意。両親から受け継いだスペイン・ネーデルラント関係の地位と領土は息子のフェリペ2世に、父方の祖父から受け継いだオーストリア・神聖ローマ帝国関係の地位と領土は弟のフェルディナント1世に譲りました。これにより、ハプスブルク家はオーストリア・ハプスブルク家とスペイン・ハプスブルク家に分かれることになります。

その後、ハプスブルグ・スペインの歴代王は、フェリペ2世(1527-1598、スペイン帝国の絶頂期に君臨)→フェリペ3世(1578-1621、病弱で「怠惰王」とも)→フェリペ4世(1605-1665、ヴェラスケスやゴヤを宮廷画家として抱える芸術愛好家)→カルロス2世と、およそ二百年にわたり引き継がれます。が、カルロス2世は出生当初より病弱で先天性疾患もあり(歴代の近親婚によるとされる)、子供がなくついに血統が絶えることに。

スペイン・ハプスブルグ家にしてみれば、血縁によって王権と領地を守るために近親結婚を繰り返したわけですが、それによる遺伝的な問題を抱えた結果5代目(カルロス2世)にしてついに子孫が絶え、やはり縁戚関係があったフランス・ブルボンにスペインを乗っ取られる、という皮肉な結末を招いたことになります。

その昔、英国の作家サチヴェレル・シトウェルは、その著作「ドメニコ・スカルラッティの背景」の中で、スペイン・ハプスブルグのような王族たちを「恐竜」に喩えてみせました。恐竜は当時の地球環境にうまく適応し、生態系の頂点に位置していたと想像されています。しかしながら、数千万年の長きにわたり適応が高度化するにつれて体躯が巨大化し、その体を維持するために特別な生態系を必要とするようになります。そのような「過剰適応」の結果、巨大隕石衝突に伴う気候変動という生態系の変化(システミックリスク)に耐えられず、ついには絶滅してしまいました。

スペイン・ハプスブルグも、およそ二百年にわたる時代の変化の中で、「巨大化した恐竜」と似たような命運を辿ったと言えるかも。

ちなみに、本家フランスのブルボン家はどうなったかというと、フランス革命で一旦廃位された後、19世紀の王政復古でルイ18世が返り咲きますが、次のシャルル10世は1830年の7月革命でイギリスへ亡命(その後イタリアで客死)、最後の王位継承者だったその孫アンリ・ダルトワ(1820-1888)には子供がなく、こちらも血統としては途絶えることに。(なお、遺産はスペイン・ブルボン家に引き継がれて今に至っているようです。)

以上は歴史上の王侯貴族についての顛末ですが、ヨーロッパ(英国を含む)では現代においても彼らの末裔が(子孫が続く限り)その権益を一定程度保持し続けています(日本の例で言えば徳川家のそれ)。もしかすると、彼らは昔のようにお抱えの音楽家を雇い、あるいは私的な音楽サロンの主催者となるといった風に、芸術・文化のパトロンの役割を果たしているのかもしれません。(だとすれば、彼らの特権への妬みや反感もある程度和らげられるかも?)









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Last updated  August 13, 2024 09:25:33 AM
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