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今、「疎水端」と聞くと何処を思い出すでしょうか??
山科を流れる疎水端、暗渠から地上に出て来る塩小路通り以南伏見までの疎水端、そしてふた昔も三昔も前、鴨川に沿って走っていた京阪電車が地下化されるのに並行して暗渠になる前の冷泉通りから塩小路までの疎水端・・・等など思い浮かびますが・・・ 前置きが長くなりましたが、過日載せましたこの古い本の真ん中の古都再見に・・・ こんな記事が有りました。 「疎水端」・・・あれ ! 「これ哲学の道ではないの??」 字が小さいので拡大しますと・・・・ 確かに哲学の道ではあるけれど哲学の「哲の字」も出て来ません。 そう言えば「哲学の道」とは後年に言われるようになったはず。 この頃(昭和37年頃) はまだ「哲学の道」と言われなかったのに違いないと思い, netで調べますと、ウィキペディアにそのことを証明する記事が有りました。 (赤下線、青下線は私が記したものです) そう言えば、東山七條から太閤坦 (たいこうだいら) へ登る坂道は今「女坂」として、つとに有名ですが、昔はそんな言い方をしなかったのにいつの間にか完全に定着しています。 その分、太閤坦と言う名前が殆ど通じなくなった気がします。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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