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天皇系図に関心を持ち始めて、今まで何代の天皇かと言う事だけで来ましたが、その年齢を知ると「何??」なのです。
今日は読了した「後白河院」関連の史跡の歌の中山から79代六条天皇陵と80代高倉天皇陵に行って来ました。(因みに後白河天皇は77代天皇です) この辺りはほゞ私の「庭」なので何回も当ブログに取り上げていますが・・・。 そもそも歌の中山とはこんなところです。 清水寺からこの道を進みます。 左に少しだけ写っているものは・・・ 地元の方がお世話されているお地蔵さんです。 街中に沢山あるお地蔵さんですが、こんな山の中までもちゃんとお世話する方がおられるのです。 直ぐ見えて来るこれが清閑寺です。 前にも書きましたが、訪れるのは殆どが外国人です。 この二組のカップルも・・・ やって来たこのカップルも・・・ 要は外国人の観光地なのです。 何か外国人のガイドブックに載っているのか、SNSによるものなのでしょう。 前置きが長くなりましたが、ここからが本論です。 清閑寺の前が今回訪れた六条天皇陵と高倉天皇陵です。 後白河天皇が上皇、法皇になって34年の長きに亘って院政を敷いた時期のこの2人の天皇は・・・ 六条天皇の即位が1才で、退位が4才なのです。 お亡くなりになったのが12才と言うのですから、今まで「天皇」をイメージしていたものが脆くも崩れ去りました。 まだ、高倉天皇の即位が20才の時であり、その後亡くなるまでの在位が12年間あったのでまだ天皇としてのイメージ出来ます。 とは言え、高倉天皇の子供の81代安徳天皇は壇ノ浦で平家と共に海の藻屑と亡くなったのが子供の時で有ったことは知っていたのですが (調べると亡くなったのは7才でした) 今まで天皇を何代としてだけしか見て来なかったことを反省して、これからは即位、退位、崩御の年齢も見て行こうと言う気になりました。 長きに亘り院政を敷いた後白河法皇り御陵は三十三間堂前に有るのですが、この六条、高倉天皇陵より遥かに小さく貧弱な訳けも気になるところです。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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