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カテゴリ:散策
最初に・・・昨日書きましたゴルフ場の名前を書いていませんでした。
「奈良高原カントリークラブ」でした。 さて、本論ですが、前に書きましたこの本を読んでいると・・・ 淀君が秀頼を産んだ「淀城」は現在石垣が残っているいわゆる淀城でなく別の場所にあった、現存する淀城と区別する為「淀古城址」言われているという記述が有ったのです。 そんなこと知らずに毎日の様に京阪電車の窓から見ている「淀城」で淀君が秀頼を産んだと思っていたのに・・・です。 これは「淀古城址」を探索しなければ・・・と京阪電車を淀駅で途中下車して行って来ました。 行った順は逆なのですが、話を進め易いようにあとで行った淀城のことから・・・ 京阪電車の高架から間近に見えるのがこの石垣です。 丁度特急電車が走り過ぎましたが、いつもこの電車から見ている身近な淀城なのです。 今は四面陸ですが、当時はこんな水の中に有ったとは・・・ この石垣を残している現存の淀城は江戸時代に築城されたものだったのです。 ・・・で、冒頭に書きました淀君が住んでいた時の「淀城址」に向かいました。 京阪電車の駅から直ぐの納所(のうそ) の交差点からこの様に古い町並みが残る千本通りを北上・・・(駅から10分ほど) 目指す妙教寺が有りました。思ったより小さいお寺でした。 この辺りがいわゆる「淀古城」のあった辺りとか。 この立札を読んで、更に近づくと・・・ ところが・・・・ギャフン!!! 中に入れないので門から中を覗くと・・・ 鐘楼の右に立っている石柱、何か彫ってあるのですが、肉銀では見えません。 カメラの望遠をいっぱいまでアップしますと・・・ 淀古城址、戊辰役砲弾貫通跡云々と書かれています。 この辺りに秀吉の時代に淀君が住むお城があり、明治維新の戊辰戦争の時は幕府軍と明治新政府軍が戦った激戦地です。 砲弾貫通跡と言うのはこのお寺にその時砲弾が貫通した箇所が残っているのでしょう。 よく似た話で、同時期の鳥羽伏見の戦いの時の刀傷や弾痕が京阪電車伏見桃山駅近くの料亭魚三楼の格子に残っています。 話が逸れましたが・・・門の外から覗いただけで諦めて、キビスを返すと・・・ 正面が桂川の堤防です。 上って見ると・・・ 振りかえると遠く真正面が今、行って来た妙教寺 桂川の向こうには先日歩いたポンポン山の山並みです(どれがポンポン山か分かりません) こんな標識も有って 淀城と言うのは新も旧も攻められ難い河川に囲まれた低地にあったことが分かります。 ・・・・と言う事で毎日の様に見ている淀城は淀君が住んでいた淀城ではなかったと言う事を初めて知るウオーキングでした。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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