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テーマ:☆仙台☆(1721)
カテゴリ:仙台、地域の肖像
上杉から宮町を通って、南光台まで散策しました。
東照宮から北上し、東北薬科大学のあたりまでは歩いていて「マチナカ」という感じがありますが、大学を過ぎてガソリンスタンドを右折し、この南光台団地にさしかかると、なぜか途端に「郊外団地」という用語が頭をよぎってきます。 「南光台団地」は泉区の最南端、浦田山の牧場だった地区を精麦会社が買い取って開発した団地です。ちなみにこの会社は、北海道のアルファ・リゾート・トマムも開発し、バブル崩壊とともに経営が悪化して、現在民事再生を受けながら不動産業を営んでいるとのこと。 浦田山は伊達藩の猟場で、南光台東2丁目には仙台藩焔硝蔵(火薬貯蔵庫)が残っています。 この団地の名前の響きを聞くと、「ああ昭和・・」という気分になります。一戸建てのマイホームという言葉が、まだ輝きを持っていた時代です。 この「○○台」というネーミング、仙台に数多くあります。仙台の人口急成長による住宅需要は山地を切り崩し、造成して吸収してきたので、こうした名称になるのですね。 仙台に親戚の多い方、一人くらいは南光台に住んでいるのではないでしょうか。私はそんなイメージを持っています。 昭和30年代に開発された団地の常で、整然と短冊形に造成された50~60坪くらいの土地に、その頃特有の建築様式を持った家々が軒を並べています。 工場も商店もほとんど見当たらず、この居住用一戸建てが普通の団地より長く続く感じがします。 同じところを繰り返し歩いているような、なにやら不思議な感覚になっていきます。といっても、街並みが荒廃しているということはありません。むしろ、よく手入れされている方ではないでしょうか。 この団地は、もとの丘陵がなだらかだったのでしょう、それほどの急坂がないのは美点です。擁壁も少ないので地域全体が明るく開けている印象があります。このあたりは、八木山近辺の住宅団地と大きく異なる点です。 「幼児」という看板が、相当古い感じです。その「幼児たち」は今や相当なトシとなっていることでしょう^^。 この街区を分断するようなかたちで、バスも行き来する大きな通りがあり、ほっとします。 この通りの周囲には、それなりの繁華性が認められます。 地下鉄旭ケ丘駅から、徒歩20分くらいの距離なので、ちょっと頑張れば地下鉄を利用できなくもありません。鶴ケ谷だと、迷わずバスー地下鉄の乗り継ぎでしょうが。 高齢者向けの学習講座や介護予防、子どもたちへの読み聞かせなど、市民ボランティアが市民センターなどで行っている活動などは、なかなか活発と見うけられます。 子供の道路横断に使うビニールの黄色い旗が、町のところどころで目立ちました。 郊外団地の人口減少という大きな波の影響は受けていますが、住宅地としてまだまだ魅力を保って欲しい地域です。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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