OZZFESTラインナップランキング
引用元:Loudwire February 16, 2021A RANKING OF EVERY OZZFEST LINEUP FROM WORST TO BESTOZZFEST。。。行ったことないんです。日本のヤツは行ってんですが本場のヤツはね。1999年のヤツに行けそうな可能性になったってのが個人的な最接近。だから少しでも勝手に雰囲気を感じるためにこの記事をピック。たまたま他に面白そうなニュースがなかったってのもあるけど。こんなの個人の感想です、ってことにはなるんだろうけど、それなりの評論家が書いてる記事なんだろうから多少の参考にしつつ各年の違いを見てみよう。内容としては=============================================Ozzfestは1996年のデビュー時、衝撃的なイヴェントだった。Sharon Osbourneの、夫のLollapaloozaへの出演を拒否されたことによる復讐の物語は、20年以上の歴史の中で、無数のサークルピット、抗議、暴動を引き起こし、巨大な毎年恒例のロードショーに姿を変えたことに始まった。Ozzfestはこのジャンルの巨人による歴史的なパフォーマンスを主催しながら、新たな才能を生みだし、多くのメタルのスーパースターにブレイクの機会を与えた。どのOzzfestにも素晴らしい部分はあるが、全てのラインナップが平等だったわけではない。我々は、全てのアメリカのOzzfestラインナップをランク付けし、思い出に浸る機会と行けなかったことを後悔する機会を作った注記:MARILYN MANSONはいくつものOzzfestのラインナップに登場し、そのうちの何回かではリストで上位にランクされている。彼を入れたことは当時のラインナップに影響したかもしれないが、このリストの文脈におけるMansonの言及は、彼に課された無数の虐待の主張を隠したり矮小化するものではない16位 Ozzfest 2010 (OZZY, MOTLEY CRUE HALFORD, DEVILDRIVER)メタルショウのパラダイムを変えてから14年後、Ozzfestはこれまでで最も弱いラインナップ(少なくとも6年間は)で突然の終焉を迎えた。MOTLEY CRUEのトップビルはOZZYの不節制であった1984年のツアーのオープニングスロットとの上手い計算だったが、グラムスターはいわばブルータルなメンツからはひどく場違いに聴こえた。Rob Halfordはクラブやシアターのサーキットから離れ、JUDAS PRIESTの象徴的な2004年のヘッドライナーにおける主に悲しみを思い起こさせるソロのヘヴィなセットを演奏した。その他のラインナップは、何回も出ているバンド、アンダーグラウンドバンド、かつての強大なニューメタルシーンの生き残りバンドだった。6回のみのショウで、Ozzfest 2010はかつて最強だったフェスティヴァルの最後の足跡を残した15位 Ozzfest 2007 (OZZY, LAMB OF GOD, STATIC-X, LORDI)Ozzfest 2007の無料オンラインチケット配布がサーバーダウンやeBayダフ屋の流れにつながったと予測するべきではない。"無料フェス"はバンドへの支払いを考慮しても目玉に欠けていたことは驚きではない。LAMB OF GODはステージを席巻したし、フィンランドのハードロッカーLORDIはシアトリカルでパイロ満載のパフォーマンスを届けたが、ファンはHATEBREED、BEHEMOTH、DEVILDRIVER、3 INCHES OF BLOODのような他のバンドについては、頭痛や熱射病にさいなまれることなしにクラブやシアターで観ることができた14位 Ozzfest 2003 (OZZY, KORN, MARILYN MANSON, DISTURBED)KORNは2003年にOzzfestデビューを果たしたが、その他のラインナップはあまり魅力的ではなかった。MARILYN MANSONとDISTURBEDは3回目の出演だった一方でCHEVILLEやNOTHINGFACEのようなバンドではニューメタルのフェスティバルにおける終焉を見た。前衛的なスラッシャーであるVOIVODは裏ハイライトとなり、SHADOWS FALLやKILLSWITCH ENGAGEのような上昇中のメタルコアバンドはメインストリームのメタルに新しい潮目を作った13位 Ozzfest 2000 (OZZY, PANTERA, GODSMACK, STATIC-X)PANTERAがOzzfest 2000のヘッドライナーとして破壊的なサザンメタルをもたらしたが、残りのラインナップはニューメタルがまだ力を持っていることを示したのみだった。DISTURBEDがThe Sickness発売後数か月でフェスデビューを果たし、GODSMACKが2年連続の出演となった。TAPROOTやTommy LeeのMETHODS OF MAYHEMのような他のバンドはそれほどでもなかった。興味深いニューカマーとしてはカリフォルニアのデザートロッカーであるQUEENS OF THE STONE AGEや、Zakk WildeがOzzyのバンドに再加入したあとにはフェスの中心となる、当時あまり知られていなかったBLACK LABEL SOCIETYがいた12位 Ozzfest 2002 (OZZY, SYSTEM OF A DOWN, ROB ZOMBIE, P.O.D.)SYSTEM OF A DOWNは2002年にチャート入りしたToxicityで3回目のOzzfest出演を果たした時には世界的に最も有名なバンドの一つになっていた。ROB ZOMBIEもホラーカーニバルをステージに持ち込み、Phil Anselmoはストーナーメタルのスーパーグループの支配者として帰ってきた。残りのラインナップはニューメタルとしての実績のあるバンド(P.O.D, DROWNING POOL, SOIL)とパンクとポストハードコアバンド(THE USED, GLASSJAW, ANDREW W.K.)の組み合わせが主であり、ヘヴィミュージックの定義のシフトのヒントとなった11位 Ozzfest 2016 (BLACK SABBATH, DISTURBED, MEGADETH, OPETH)6年間の休止のあとで、Ozzfest 2016はKnotfestの1日と組み合わせた新しいラインナップで散財したと思うかもしれない。DISTURBEDとDEVILDRIVERは5回目の出演で、HATEBREEDはずば抜けて多い7回目の出演だった。フェスは、MUNICIPAL WASTE, SUICIDAL TENDENCIES, ヘッドラインも務めたMEGADETHのような素敵なスラッシュの流れがある一方、OPETHはブルータリティをもったプログメタルで幅を広げた10位 Ozzfest 2001 (BLACK SABBATH, MARILYN MANSON, SLIPKNOT, PAPA ROACH)Ozzfestの小さいステージでデビューしてから2年後、SLIPKNOTはMARILYN MANSONを伴って、世界を席巻するヘッドライナーとして戻ってきた。ニューメタルの人気者であるLINKIN PARK, PPAROACH, DISTURBEDも熱気をもたらしたが、TAPROOTやNONPONT、(身震いする)CRAZY TOWNのような他のニューメタルバンドは同様にはいかなかった9位 Ozzfest 2008 (OZZY, METALLICA, JONATHAN DAVIS, SERJ TANKIAN)Ozzfestのテキサスでの1回のみの開催は、大金をはたいたダブルヘッドライナーであるOZZYと2004年以来アメリカでツアーをしていなかったMETALLICAという自慢できるものとなった。2008年のラインナップはその他にもJonathan DavisやSerj Tankianのソロセット、攻撃的なメタルのスーパーグループであるHELLYEAHやCAVALERA CONSPIRACYのようなメタルれじぇんとやフェスティヴァル同窓会の様相で歓迎された。おそらく驚くまでもなく、トップのヘッドライナーとOzzfest 2008を盛り上げる前座の組み合わせであり、それはテキサスの暑い夏よりも熱気はもたらさなかった8位 Ozzfest 2017 (OZZY, PROPHETS OF RAGE, DEFTONES, CHILDREN OF BODOM)Ozzfestは、再びKnotfestとのタッグとなる2017年の1日開催においてジャンルの拡大という点で頂点を迎えた。フェスのヴェテランであるDEFTONESは新しいラップロックのスーパーグループであるPROPHETS OF RAGEを伴い帰ってきた。一方でメロディックデスメタルの巨人であるCHILDREN OF BODOMがようやく登場した。KREATOR, HAVOK, IRON REAGANはスラッシュファンを歓喜させ、HIGH ON FIRE, ORANGE GOBLIN, BARONESSはドゥ―ミーでスラッジ―な環境を創り出した。この回はメタルの耐性のある文化現象のひとつとして多様性のある強烈な回だった7位 Ozzfest 2006 (OZZY, SYSTEM OF A DOWN, DISTURBED, AVENGED SEVENFOLD)Ozzfestは2006年も熱狂的であり続け、フェスの卒業生であるSYSTEM OF A DOWNとDISTURBEDをラインナップに加えた。どちらも現在はヘッドラインを務められるチャートトップの最強布陣だった。AVENGED SEVENFOLDは現代のメタルヒーロー像を根本的に変え、ATREYU, NORMA JEAN, STRAPPING YOUNG LAD, BETWEEN THE BURIED AND MEがブルータルであり幅広い前座として支えた。メインストリームのメタルは2000年代半ばに繫栄し、Ozzfest 2006でその独自性で頂点を極めた6位 Ozzfest 1996 (OZZY, SLAYER, DANZIG, SEPULTURA)Ozzyは2日間の人気メタルレジェンドを揃えたOzzfestの開始で攻勢に出た。SLAYERとSEPULTURAはブルータルなスラッシュを届け、DANZIGは最初で最後のOzzfest登場で咆哮した。EARTH CRISISとBIOHAZARDはニューヨークハードコアシーンを代表し、NEUROSISはそびえたつ前衛的な光速の騒音をセカンドステージに放った。この最強のデビューラインナップをもってすれば、Ozzfestが2年目にはサーキットを行い、永遠に革命的なメタルフェスティヴァルになったことは驚きではない5位 Ozzfest 1999 (BLACK SABBATH, ROB ZOMBIE, DEFTONES, SLAYER)Ozzfest 1999はメタルフェスティヴァルの成功に3つのカギとなる要素を提示した:ヘヴィ、有名、不気味である。Rob ZombieはショックロックのクラシックであるHellbilliy Deluxe to the massesを披露し、PRIMUSはファンを達人的で奇妙で楽しいファンクメタルの融合で魅了した。DEFTONESとSYSTEM OF A DOWNはニューメタルの境界線を不完全な違う方向にもっていった。SLAYERは忠実に観客を熱狂させた。もちろん9人のマスクをかぶったオレンジのつなぎの集団が毎晩サイドステージを震撼させたことを忘れている人はいない。SLIPKNOTはOzzfest 1999の最中にセルフタイトルのデビューアルバムを発表していた事実はあまり知られていないが、それから数年後に彼らは世界を席巻することになる4位 Ozzfest 1998 (OZZY OSBOURNE, TOOL, MEGADETH, LIMP BIZKIT)Ozzfest 1998のラインナップであり、ジャンル拡大のラインナップにはどんなタイプのメタルファンにもアピールする何かがあった。TOOLの知的なオルタナティヴメタルはLIMP BIZKITのFred Durstのラップメタルの胸を打つまくしたてる歌唱と相性がよかった。MOTORHEADは若者に荒々しいスピードメタルを提示し、METGADETHは主に1997年のCryptic Writingsからセットリストを組んだことで商業的なハードロックへの進出を果たした。SYSTEM OF A DOWNは猛烈で奇妙なオルタナティヴメタルの攻撃を放ち、すぐに世界最大のバンドの一つになった。一方、ニューメタルの申請であるINCUBUSはオルタナティヴロックのメジャーに入り込む数年前にサイドステージを揺るがしていた3位 Ozzfest 1997 (OZZY, BLACK SABBATH, MARIYN MANSON, PANTERA)Ozzfestは2年目から適切なロードショーになり、それに対応してラインナップも強化された。Ozzyはソロバンドでダブルヘッドライナーのひとつを務め、3/4がBLACK SABBATH(ドラマーのBill Wardを除く)と再会した。これは1978年以来のグループとしての最初の長時間のショウだった。PANTERAはビール飲みで地獄創造のような騒乱でファンを狂喜させた。MARILYN MANSONの悪魔のような悪魔的なシアトリカルなショウはショックによる多くの抗議を引き起こした。FEAR FACTORYとPOWERMAN 5000は当時のインダストリアルメタルの主役であり、ゴシックプレイボーイズであるTYPE OF NEGATIVEは切望されていたセックスアピールを提供した2位 Ozzfest 2004 (BLACK SABBATH, JUDAS PRIEST, SLAYER, DIMMU BORGIR)BLACK SABBATH, SLAYERと1991年以来初めてRob Halfordとツアーに戻ったJUDAS PRIESTの垂涎のトリプルヘッドライナーであるOzzfest 2004に勝るのは難しいだろう。シンフォニックブラックメタルの巨人であるDIMMU BORGIRはブルータルでシアトリカルなショウで観衆の心をつかみ、SLIPKNOTとLAMB OF GODはリアルタイムでスーパースターになるにつれ、ステージに大爆発を起こした。一方でATREYU, UNEARTH, EVERY TIME I DIEなどの熱狂的なメタルコアの新進気鋭のバンドたちはOzzfestの常連にいまだモダンメタルの血が流れていることを証明した1位 Ozzfest 2005 (BLACK SABBATH, IRON MAIDEN VELVET REVOLVER, MUDVAYNE)純粋な火力としてOzzfest 2005は競争で圧勝する。フェスティヴァルの最初の初戦を目撃したファンは、BLACK SABBATHとIRON MAIDENという強烈なダブルヘッドライナーを体験した。後者はEddir Rips Up the World Tourの壮大な最初の4枚のアルバムからのヒットとディープカットをミックスした(音楽とは関係なく花火も感動的であった。MAIDENはステージ上の停電に悩まされ、他のバンドから卵を投げられた後、Sharon Osbourneと公に衝突することとなった)。MAIDENは7回フェスティヴァルに参加し、チャートトップ入りしたデビューアルバムContrabandを発表したVELVET REVOLVERにスロットを譲った。2005年のオープニングではIN FLAMESやROB ZOMBIEなどのメタルのベテランと、KILLSWITCH ENGAGE, AS I LAY DYING, MASTODON, TRIVIUMなどの将来のメタルコアやプログレッシヴメタルの巨人がタッグを組んだ。これらのバンドは全てその後メインステージのアクトになることになる。最初から最後までOzzfest 2005にはひとつも隙がなかった===========================================長い記事だったわ。疲れた。。。でもこれを見ると何となく時代の流れも分かる気がするので面白いね。で、結局メイデンが最高だったのが”らしい”というか。いずれにせよメタルフェスの先駆けとしてOzzfestの功績はとてつもなく大きいですよね。その時代にOzzy(BLACK SABBATH)が現役でよかったというか。今だとKNOTFESTが何とか引き継いでいるんでしょうが、こういった巨人のようなバンドが今後出てくる可能性はどんどん低くなっているのは悩ましいですね。まあ別にDOWNLOADとかLOUD PARKとかあればいいんだけど。嗚呼いつになったらフェスに行けるのやら。。。§ぽっぷびぃと§