大手アパレルメーカーは、どこへ行く???
昭和57年4月に
東京スタイルに入社した。
営業マン71名採用でした。
会社説明会には、総勢3,000人とも、4,000人とも、言われていた。
会社面接には、たしか~750人と記憶している。
私が、アパレル業界に?????
大学時代の友人や、
ゼミの先生も、
「オマエが、アパレル業界
止めとけ~・」とほぼ全員が、言います。
父親は、大学3年生時に、ガンで亡くなりました
就職は、悩んで悩んで、
アパレル関係と、商社関係、
新聞社を希望していました。
成績は、悪い。
成績は悪い。
あるのは、「ガッツ」だけ。
三陽商会を第一希望にしていたが、
電報局の職員が配達ミスを犯して
合格を不合格にされた。
運命的な別れ道となったなった。
それを知らずに、
「東京スタイルの面接会場へ。」
なぜか?
受かった。
「入社試験は、悪かったが、
変わった奴だと思って、採用の印を押したよ。」と
後から、当時の役員から、お聴きした。
あれから、40年。
アパレル業界の景色も相当変わった。
変化に付いていけない会社が、
疲弊している。
私は、昭和62年10月に小売業に転身した。
名古屋の親戚筋からは、
「反対・小売業じは、行くな。
名古屋に帰って来い。」と言われた。
当時
茨城県には、親戚もいない。
故
羽富 正三との20回に以上に亘る
面接、面談を繰り返す。
アパレル業界は、仕組みが複雑化している。
在庫を持ってのビジネスが主流である。
在庫を持つと、
在庫コントロールが
しにくい業界でもある。
在庫を相手にどうしても、押し付けてします。
そもそも、強引な業界でもある。
レディースアパレルメーカーでも、
ほとんどが営業担当者は
男である。
不思議な業界である。
異業種とのコラボを模索中して
新ビジネスモデルを考えています。