|
カテゴリ:日々考えたこと
約束を守ることは大切だけれど、約束はだたの約束だ。状況が変われば無効になることもある。なったからといって、社会的責任を負わされたりすることはあまりない。
契約は守ることを大前提として、誰の目からみても分かるように取り交わされる。紙面になったり、朱肉のハンコがついていたり。契約を破ると、社会的責任を負わされる。負わされなくても、後ろ指をさされるような状況に追い詰められたりする。 約束は正直な気持ちを元に成り立つものだと信じてきた。契約はビジネスライクで、人の気持ちを無視した、お互いの利得を保障するだけのものだと思ってきた。正直な気持ちは移ろい、風化していつの間にか消える。契約は書かれた紙面が黄ばんでも残る。 だから私は契約を交わさない、頑なにそう思ってきた。それを「お前はまじめに生きてこなかった」と、面と向かって赤の他人に揶揄されることもあったが、それでも自分を曲げなかった。 今、約束も契約も介在しなくなるときが来るんだと、朧に感じている。こだわりが無いのならば、楽に生きられるほうを選ぶほうが賢いように思えてくる。多数に同化して生きるメリットは、周りに気を使わせなくて済むことだと気づく。少数派に対する多数派の気遣いも、多数派に対する少数派の後ろめたさも、どちらも理解できる。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2008.03.18 01:40:24
[日々考えたこと] カテゴリの最新記事
|
|