毎月最終火曜日、ローマの10あまりの美術館・遺跡が
19時から23時まで無料で開館するというイベントを行っています。
歴女にはこんなにありがたいことはありません。
お財布がありがとう、と言っています。
場所と時間によっては、美術館が主催して
ガイドさんによる説明を行っている場合もあります。
それも無料です。わたしと73ちゃんは19時半からのクリプタ・バルビの
地下遺跡ガイドツアーに参加したかったのですが、
人数がいっぱいであきらめることを余儀なくされました。
博物館内はもちろん無料で見られますが、わたしたちの目的は
係の人に連れて行ってもらえる地下の遺跡だったので、断念したのでした。
あわててアルテンプス宮の21時半からのツアーを申し込みに行きました。
こちらはまだ人数に余裕がある様子。
いずれにしても21時半にはまだ時間があったので
バルベリーニ宮(国立古典絵画館)にまたもやあわてて移動して、
1時間弱くらいダイジェストで観ることにしたのでした。
バルベリーニ宮は、映画『ローマの休日』で
アン王女の泊まっていた大使館として、外観が使用された建物です。
1625年にバルベリーニ家出身のローマ法王ウルバヌス8世が
スフォルツァ家から譲り受け、当代の芸術家たちに改築させました。
手がけたのはカルロ・マデルノに始まり、ボッロミーニ、そしてベルニーニ。
わたしがここで見たかったのは、
高校の世界史の教科書に必ず載っている
ホルバインの『ヘンリー8世』です。
英国国教会を作らせた張本人のわがままなおっさんです。
前回、確かまだ観光客として来た時には、
どこかに貸し出し中で見られなかったのです。
ラファエッロの有名な『ラ・フォルナリーナ』をはじめ、
カラヴァッジョやフィリッポ・リッピなど有名どころのお宝がザクザクです。
圧巻なのは大広間にあるピエトロ・ダ・コルトーナ
『神の摂理の勝利』で、怖いほどの迫力です。
天井画なのでこうやって見ます。
ピエトロ・ダ・コルトーナ独り占め、73ちゃん。
急ぎ足でバルベリーニを観て、アルテンプス宮に移動しました。
ちゃこちゃんとうきちゃまと合流。
アルテンプス宮は、15世紀の建物。
オーストリア出身の枢機卿アルテンプス(お母さんはメディチ家の人です)が
一族の住居として購入しました。
貴重な蔵書の図書館は現在は
やはり(というかなぜか)ヴァチカン所有です。
建物内に造られた劇場は長い間一般市民にも開放されていたそうです。
また、一族の洗礼堂も中にあります。
モーツァルトもアルテンプス宮で演奏をしたことがあるそうです。
1982年にやっとイタリア政府が買い上げて(ヴァチカンよ…)、
1997年にルドヴィシ家やマッテイ家の所蔵品を展示する
国立博物館としてオープンしました。
『ルドヴィシの玉座』と呼ばれる
紀元前5世紀にギリシャで造られた大理石棺はここの目玉です。
海から生まれるアフロディーテらしいのですが、
わたしにはどうも出産している女性にしか見えません…。
現存する古代彫刻といえば、
たいていが古代ローマ時代に作られたコピーであることが多いのですが、
これはオリジナルとなので貴重なのです。
『自害するガリア人』の大理石像も素晴らしいですが、
こちらは1世紀におそらくジュリアス・シーザーが作らせたらしいコピー物です。
奥さんを刺してその剣で自分の心臓を刺そうとしている敗者、
ガラティア人兵士の姿だそうです。
オリジナルは、紀元前3世紀に
ペルガモン王国(現在のトルコ)のアッタロス1世が、
ガラティア人との戦争に勝利した際に作らせた
記念建造物の一部であったらしく、
現在カピトリーニ博物館にある『瀕死のガリア人』(これももちろんコピー)と
対になっていたそうです。
最後に説明付きで見た目玉の展示は『ルドヴィシの大石棺』。
これもルドヴィシ家の所蔵。
石棺には3世紀の古代ローマ帝国と
おそらくゴート族(大移動したゲルマン民族の一つ)との戦いが
彫られています。
真ん中に偉そうな戦士がいますが、
これはおそらくホスティリアヌス帝か
その兄でゴート族との戦で死んだ
ヘレンニウス・エトルスクス帝とされています。
蛮族との戦いを描いた、
少し漫画チックな、それでも動きのある彫刻で、
昔は戦功を後世に伝えるために
こういう物を造るという方法をとっていたのだと改めて考えさせられます。
マッシモ宮にも、
ポルトナッチョ(発見された場所の地名)の石棺と呼ばれる、
似たものがあります。
いずれも蛮族とローマ帝国との戦いを描いたものです。
こちらの本でお手軽にお勉強できますね。
もう一人の歴女あさちんとご主人にこちらで遭遇!
歴女にとってローマは狭いですねぇ。
このあとは73ちゃんとちゃこちゃんとうきちゃまと飲み会でした。
わたしはペプシ。
話題は掃除洗濯。