スキピオ家代々の墓地のガイドツアーに行ってきました。
スキピオと言えば、ポエニ戦争!
恥ずかしながらわたくし、
塩野七生の『ローマ人の物語』、一冊も読んだことがありません…。
くすん。
知識まったくナシ。
だから、これほど読んでおけばよかったと悔やんだことはありません。
旅ボンで作者が、Dr. コトー診療所を見ずに
与那国島に行ってしまったのと同じくらいの後悔です。
紀元前3世紀にローマと北アフリカのカルタゴが
地中海の覇権を争ったポエニ戦争。
終結までに100年以上かかりました。
第2次ポエニ戦争のカンネーの戦いで
カルタゴのハンニバルが象にまたがってアルプス山脈越えをし、
強敵ローマ軍を破ったエピソードは興奮モノだと思うのですが、
みなさんは高校の世界史の授業を覚えていらっしゃいますか?
ここは塩野七生でなければ是非、ウチの近所の73ちゃんか
わたしの元同僚で大先輩のもち氏に語って頂きたいものです。
第2次ポエニ戦争と言えば、アルキメデスのエピソードも有名ですね。
皆さんこちらは読みましたか?
それはさておきスキピオ家。
紀元前3世紀後半にザマの戦いでハンニバルを破った大スキピオ、
そしてポエニ戦争を終結に導いた甥の小スキピオが有名です。
その2人を輩出したスキピオ家は、さかのぼると
紀元前298年に執政官になった
ルキウス・コルネリウス・スキピオ・バルバトゥスにたどり着きます。
この人をはじめとするスキピオ家の人々が眠っていた墓地を
わたしは見学に行ったのです。
サン・セバスティアーノ門からすぐ、アッピア旧街道手前の
サン・セバスティアーノ門通り9番地から入ることができます。
1780年にここに住んでいた聖職者兄弟が
地下のワイン貯蔵庫の工事をしていて発見したそうです。
それまでスキピオ家の墓地と考えられていたのは
少し先のアッピア旧街道沿いで、まったく異なる場所。
現在ではそこはゲタ帝の墓と判明しています。
今年に入ってから、20年ぶりに一般公開されるというので
早速ガイドツアーにイローナと申し込みました。
わたしたちが行ったのは文化週間だったので3ユーロの入場料も無料!
見学は予約しないとできません。こちらでご確認下さい。
外観はこう。壁のフレスコ画もきれい。
当時はこんな感じでした。
いざヘルメットをかぶって入ります。興奮!
突き当たりには初代スキピオ・バルバトゥスの石棺があります。
18世紀に発見された際に完全な形で残っていた石棺は
これ一つだったそうです。
今、ここにあるのはレプリカで、
本物はヴァチカン博物館に展示されています。
アカンサスの装飾が彫られているこのドーリア式の石棺には碑文があって、
その日本語訳はこちらで読むことができます。
彼が執政官になったのは紀元前298年で、
アッピア街道ができた(紀元前312年)直後なのです。
亡くなった年も分かりませんし、
墓地がいつ造られたかもはっきりとは分かりませんが、
この頃であるのは確か。
やはりこのアッピア街道の入り口という重要な位置に
ローマの名門貴族の墓地があるというのは納得です。
スキピオ・バルバトゥスの曾孫が、
通称、大スキピオと呼ばれるスキピオ・アフリカヌスです。
彼は先祖代々の墓に入るのは嫌!と遺言したので、
ここに眠っていないんです。
彼の墓所は、のちにローマ初代皇帝アウグストゥスが
墓参したという記録が残っていますが、
今となっては場所は不明です。
わたしは大スキピオと同じ空気を吸っていないんですね…。
でも生前、ここに先祖のお参りくらい来たかな。
一族の女性もこの中に入っていたようで、墓碑も残っています。
スキピオ家で最後に活躍した人はカエサルの時代を生きており、
その後、1世紀くらいは代々の墓地として保たれていたようですが、
紀元後3世紀には墓地によりかかるようにして
普通に邸宅が建築されてしまっています。
墓地の一部は壊されてしまったようです。
この辺りがローマ帝国時代の建物です。
これだけでもかなり古いんですけれど、
ここにいるからには「新しい」と表現せざるを得ません、この建物。
中世には大理石やトラバーチン(石灰岩)の
採掘場になってしまいました。
スキピオ家とは関係ありませんが、敷地内には
コロンバイオやカタコンベという集合墓地の遺跡もあって、
見学することができます。
いずれもローマ帝国時代初期のものです。
コロンバイオは遺灰を壺に入れて、
それを鳩穴のような形の(雌鳩のことをイタリア語でコロンバと言います)
壁のくぼみに入れる集合墓地です。
ここには470人分の遺灰が収められていたようです。
コロンバイオにつきましては、こちらの説明もご覧下さい。
カタコンベはキリスト教が迫害されていた時代に
よく地下に作られた礼拝所であり集合墓地です。
コロンバイオと異なり、火葬ではなく土葬です。
こちらも参考にどうぞ。
ところでイタリア語でスキピオはSCIPIONEです。
ウチの近くにVia degli Scipioni(スキピオ一族通り)があります。
スキピオは割とわたしの近くにいたんですね。