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テーマ:身内の死(4)
カテゴリ:家族・家庭・交友関係
がんで闘病中だった父親ですが、
容体が急変し、今朝未明の午前2時過ぎに永眠しました。 享年78。 現在の平均寿命から考えると、 もう少し生き永らえていても良かったのかな、と思います。 過去の日記にもしたためているように、 今年の1月、胃にがんがあることがわかり、 2月半ばに手術を試みたものの、 想定以上にがんが進行しており、 結局、何も施すことなく開腹した部分を そのまま閉じる羽目に。 直後、死線をさまよいましたが、 その後は驚異的な回復を見せ、 3月下旬には退院するまでになりました。 その後は西洋医学よりも むしろ東洋医学を応用した治療を受け、 保険が効かないので、随分な出費となったものの、 車の運転や畑仕事ができるまでになっていたのです。 このまま当面の間は大過なく進むだろうと思っていたのですが、 世の中そんなに甘くはない。 今月に入ってから、徐々に元気が無くなってきていたらしく、 さらに先週の土曜日(12月20日)に、 脚のむくみが酷くなって歩けなくなり、 介添えの母親を気遣って、本人が自主的に再入院宣言。 母親からその旨のメールが入ったのは、 ちょうどママ友たちと忘年会に興じていたさなかでした。 嫌〜な予感がし、 すぐにでも大阪へ行きたいところだったのですが、 翌週は26日の仕事納めの日に、 どうしても宇都宮の営業先で外せないプレゼンがあり、ひたすら逡巡。 ところが翌日になって、父親から珍しくメールが入り、 そこには「仕事を最優先せよ」と書かれてありました。 父からもらった最初で最後のメールでした。 その言葉に甘んじ、昨日の26日は宇都宮とを往復、 夜には大阪へ向けて息子たちと出発。 渋滞に巻き込まれることもなく、順調に西進していたのですが、 夜中の3時前に、愛知県の刈谷PAで休憩中に母親からメールが入り、 2時10分に息を引き取った、とありました。 その時間は、浜松郊外の新東名を走っているさなかでした。 結局、死に目に会うことが叶わず、 明け方に遺骸と対面したのは、病院ではなく 葬儀社の控え室でした。 穏やかな表情でした。 昨日はいつになく朝食が進み、 お見舞いに訪れた面々とも会話を交わしていたとのことですが、 夕方になって突然、母親の言葉に応じなくなり、 様子がおかしい、と思った時には、 目が宙を泳いでいて、イビキにも似た息をしだしたとのこと。 寝ながらにして脳梗塞の状態になってしまったようです。 そして徐々に心拍数が少なくなり、そのまま静かに逝ってしまいました。 まるで僕たちの帰省に合わせるかのような、 実に手際の良い身の引き方でした。 それにしても、わずか1年半のうちに 2人の身内がこの世からいなくなるとは……。 遺された者にとっては寂しい限りです。
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