分からないもの
浮きまくりでした。周辺の席を固める女性陣、主演のジャニーズ俳優に注がれる熱い視線。その中、かなりの肩身の狭さを感じながら頑張る男子大学生。舞台、「No Man's Land」を観てきました。ボスニア人監督、ダニス・タノヴィッチ監督の映画を原作にしたこの舞台、テーマは10年ほど前のボスニア紛争。しかし、戦車、ミサイル、銃撃戦などの描写は一切なし。登場人物はたった4人。2時間の公演中セットの変化は一切なし。というなんとも潔い構成で、戦争状態における人間の心の揺れ、その不安定さを描いた作品でした。主人公はムスリムのボスニア人兵士。彼が迷い込んだ中立地帯(No Man's Land)であるセルビア人兵士に出会います。彼の仲間はその兵士によって体の下に地雷を埋められていて、身動きができない状態に。結局、どうすることもできないままその3人が過ごしていく時間が物語りの中核に。当初は互いの民族をなじり合い、武器で脅しあう2人。しかし、その身動きの出来ない兵士の計らいを経て、しだいに歩み寄っていきます。ボスニア人兵士の彼女はセルビア人で、セルビア人兵士の祖母はクロアチア人で、共通の知人がいて。ボスニア人兵士がローリングストーンズのTシャツを着ていて、そこから3人でストーンズを歌い始めたり。サッカーの話題になって、3人でオシムやストイコヴィッチを褒め称えたり。1本のタバコを3人で分け合ったり。しかし、助けが来ないことでまた苛立っていく3人。ようやく国連軍の兵士が救出に来ても、地雷除去を巡ってまたしても対立。最後にはボスニア兵とセルビア兵が互いに撃ち合い死亡。そして残されたもう一人が自ら地雷を作動させ爆発。というショッキングな終わり方でした。それにしても、派手な演出やセットの変化を使わず、4人の登場人物だけで、2時間もの間観客を惹き付けたこの舞台は驚異でした。この舞台で描かれていたもの、それは戦争そのものではなく、その中に生きる人間の心の動き。憎しみ、罵倒、不信。それを越えて生まれた共感、楽しみ、絆。しかし、最後にはそれすらも壊したもの。きっと、それが“戦争”というものなのかなと思いました。印象に残る台詞がありました。「戦争っていうのは精神状態のことだと思うんだ。 銃撃戦とか、頭上を飛ぶヘリコプターとかではなくて、 そこにいる人間の心の中にこそ、戦争があるんだ。」心の中にこそある戦争。どうしようもない不安死と隣り合わせにいる緊迫感深い憎しみ色々な感情が想像できますが、やはり、核心のところにあるものは、きっと僕らには分からない。そこに生きた人にしか、分からない感情。その得体の知れないものが戦争というもので、それだからこそ、一見理不尽な行動に人を導く。高見の見物で立派なことを言うのは簡単だけど、リアルはそこにはなくて、現実はもっと筋が通ってなくて、理不尽で、理解できないもの。そして、それがきっと人間の本質なのかもしれない。戦争で殺し合う人たちを見て僕らは口々に「理解できない」「間違っている」「俺ならやらない」なんてことを言ってしまうのだけれども僕らは彼らの中に起こっている戦争を知らなくて、それは所詮きれいごとに過ぎなくて、あまりに無責任な態度なんだと思う。家族を殺され、恋人をレイプされ、生まれ育った町を燃やされたとき、それでも、「戦うのは間違っている」なんて果たして言えるだろうか?僕は、分からない。人間がそんなに筋の通った生き物として作られていたら、きっと戦争なんて起こらないはず。それでもそれは起こってしまっていて、今もどこかで誰かが戦っている。きっと、そのことを認めることから始めないといけないのだと思う。戦争は、決して対岸の火事でもテレビの中の偶像でもなくて、僕らの心の中にいつでも存在し得るもの。戦争を望まないなら、自分の中にある戦争を否定せず、それと向き合い、戦っていかなくちゃいけない。誰とも戦いたくなければ誰よりも自分と戦うこと世界に訴えたければまず自分に勝ってからそんなことを、教えられた気がしました。「世界ではなく、自身を征服せよ」 ~哲学者・デスカルト~