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テーマ:徒然日記(23508)
カテゴリ:命の尊厳
☆ 2007年 北フランスから。
前回、フランスに流れてきたルーマニアの人々のニュースで見たことを書いた。 ゴミに囲まれ、簡易トイレが一応3つ、彼らが占領した敷地内に取り付けられたが、 人の数に対応していないのは明らか。 何をもって、「貧困」の定義にするのか、実際、私はよく、わからないのだけれど、 ただ、ゴミに囲まれて暮らしているような、衛生面で怪しそうなのが、まず問題ではないか、 と思う。家の中に、トイレもシャワー室もない、と言うのは家、とよべるのだろうか。 早く、あの人たちが、安住の地を見つけられますように。 生活。衛生。家。屋根。衣服。食事。 移民の人たちの中には、赤ちゃんもいたし、子供たちもいた。 学校に通わせてもらえる子供は、ごくわずか。 それにしても、せめて、日本のように、銭湯があれば。 あの人たちもホームレスの人たちも衛生面はなんとかとりあえず、保てるのではないか、 と思うが、フランスでは、まずお目にかからない。 昔、パリの一角に、安い共同シャワーがあって、貧しい学生時代に、 お世話になったことがある。モロッコ移民系の人たちが多く来ていた。 衛生ね。パリの、有名ホテル、リッツの創始者が徹底してこだわったことは、 「とにかく清潔」であることだった。 よく、日本にも無法滞在移民として、フィリピンからの人たちが流れてきている、 と聞いたことがあった。フィリピンには今でも仕事がないのだろうか。 あそこは、天候が不安定で、雨が降ると、工場がパンクする、とか、 日本ではちょっと考えられない話も聞いたことがあった。 昔、フランスでベビーシッターとして安く雇われていた美しいフィリピン女性は、 なけなしのお金を実家に送っていた。 大事に持っている写真には、可愛いこどもと彼のご主人さまがうつっていた。 彼は、仕事がみつからないので、家でこどもの面倒を見ているそうであった。 家の奥には、一台のテレビがあった。 パリ大のクラスには、綺麗なフィリピン人の若い女の子がいた。 彼女は、まあまあ恵まれた環境にいたようだ。フランス人の男性と結婚していたが、 遠距離恋愛をしていた時期もあり、その時はお互いよく手紙のやりとりをしていたとの ことである。真面目で清楚な感じの女性だった。 昔、会社員だった時、東京にあったバーに、一度、何故か女の私が国際部の方と、 社長の方に連れて行かれた時、フィリピン女性がたくさん接待していた。 社長は、フィリピンを援助したい、と考えておられたので、それもその一環の 計らいだったが、すでに既婚者の彼女たちに同情から愛に進んでしまう優しい 男性社員が結構出たらしく、そこは閉鎖したようだった。 私が、そのバーに行った時は、同じ女として、彼女たちも好きでバーにいるわけじゃない、 と思い、ダンスとカラオケの合間に日本語を教えて時間を過ごした。 彼女たちから、真面目に学びたい、という表情が痛いほど感じられた。 野生の動物を守り、原生林や美しい河川、汚水の入らない水田や農園地帯、環境を 保護しながら、子供たちは教育に恵まれ、一人一人の才能が育まれる環境で、 大人たちは、生涯教育と仕事に恵まれた社会を日々作り出す。 社会主義?資本主義? なんと言うか、たとえば、すべて国営、という国家には絶対、無理がある、と思う。 ユートピアを目指しながら、結局は独裁主義国家を作っていく結果になるのでは ないか、と。とはいえ、超?資本主義国家のアメリカの場合も、なんか、たとえば、 健康保険がなかった時代もあるようで、それもどうか、と思う。いや、今でもないの? ヒラリー大統領候補が頑張っていたようなので、なんとかなったのではないか、と 思っているのだけれど。 それを思うと、日本の健康保険制度は、なかなか良くできている、と思う。 昔から、病院に行っても、最初から、保険が効く、というのはありがたいことだった。 フランスは現在、ようやくそうなったが、つい何年か前までは、最初に全額支払い、 後から、支払い請求を起こして、ようやく戻ってくるという面倒な仕組みだった。 失業問題かあ。 フランスのロワヤル大統領候補だったか、 「今、存在していない仕事、サービスを作り出して、失業対策に立ち向かうことが大切」 とかも言っていたような気がする。 風(仕事)がないなら、風を切って走る人になれ、ってことかなあ。 今日もあなたにとって 素敵な一日でありますように。 lots of love 人気blogランキングへ ありがとう!Have a nice day ! A+ ! よろしければ、ぽちっとプレスを。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
May 16, 2017 07:09:06 PM
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