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テーマ:徒然日記(23314)
カテゴリ:命の尊厳
カナダの天文学者ユベール・リーヴスの本だったかなあ、 ナチの脅威に負けて、米軍に「原爆」の処方箋を渡したアインシュタインは、 自分は何かとても恐ろしいことをしてしまったのでは、と相当悩んだそうだ。 原爆はまさに不安の産物だった。 自分の弱さを感じ、攻撃をすることで、自分の身を守ろうとする本能。 フランスの記事で、 日本に原爆を落とさなくても日本はすでに降伏する予定であった、 とGal Alperowitz という歴史家が伝えていたことが書いてあった。 フランス語 原爆が日本を降参させたのではない。 Gal Alperowitz はNoam Chomsky、 David Horowitz などと並ぶ60年代の アメリカの左翼系の歴史家であることを Bruce Miller と言う人がブログに書いている。 この Gal Alperowitz という人が Gar Alperovitz ともしかして同一人物なのか どうかわからない。 また昔読んだ別の日本語の本では、原爆が日本に落ちた事を知ったフランスの詩人 ポール・エリュアールはなんと非人間的なことを、と怒りと悲しみに震えた、という。 これは日本語の本で読んだので、時々、その箇所をフランス語でネット検索してみるが、 見つけられずにいる。 エリュアールは、ナチの独裁に抵抗して詩を書き、レジスタンス運動を行った詩人である。 レジスタンス la résistance はフランス語で「抵抗」という意味がある。 第二次世界大戦(1938-1945)のフランスにおける抵抗運動を指す。 それはイタリアのファシスム運動、ドイツナチへの抵抗運動、 フランスに亡命した独裁国家と化したスペインの共和党員、 国を消されたアルメニア人、ポーランド移民や迫害を受けたユダヤ人を保護する運動。 フランスのレジスタンス運動は1943年頃からと言う説と1940年頃から始まった、 という説があるそうだ。 Paul Eluard 14 décembre 1895 - 18 novembre 1952 エリュアールの「自由よ 僕は君の名を書く」は水面下で 兵士たちやレジスタンス運動の人々に勇気を与えていたそうだ。 彼のこの詩は、シラク元大統領がパリ市長だった時だったと思う、が パリのシャトレの市役所前で催しが行われた時に朗読されていた。 Liberté, j'écris ton nom 因みに、彼のもと妻だったガラは、エリュアールの蒸発事件の 何年か後、まだ25歳の青年だったスペインの超現実主義の画家ダリの求愛を受け、 ある日、忽然と彼のもとに駆け落ちし、そのままダリと再婚する。 ガラはエリュアールにとっても、ダリにとっても常にインスピレーションを 掻き立てる女性だったようだ。が、 サイケデリックなビートルズのポスターを描いて有名な日本の画家 横尾忠則が、昔の「美術手帖」に、若い時に ガラに会った時の印象にうんざりしたことを書いていたことがある。 ダリのアトリエの仕事を手伝っている時の若い横尾やそのほかの 青年たちに、「あなたたち、私が目的なんでしょ」みたいな事を 言ったらしいのだ。彼らがもの欲しそうな若者達に見えたので そんなつまらない事を言ったのか?思うに、ガラの他愛のない冗談 だったかも知れない、とも思う。純粋な思いで、超現実主義の ダリのアトリエに来ていたまだ若くて一途な横尾さんがガラの品のない冗談を まともにとって、ちょっと怒りを覚えてしまったのかも、と思ったりする。 フランスの大統領サッコジー氏(日本ではサルコジー氏になっている)が 2007年5先月の大統領選挙で、原子力発電はCO2を出さないクリーンなエネルギー と言及した時は、私は驚きのあまり椅子から転げ落ちそうになった。 だって、核廃棄物は? お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
February 19, 2018 12:38:20 AM
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