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テーマ:ヨーロッパ旅行(4254)
カテゴリ:Europe
6月末の金曜日から日曜日、フランスからベルギーを越えてオランダへ家族と、スポーツクラブのディレクターと部員3人の計7人でレンタルのミニバスで行ってきた。大体、片道540kmの距離。実際には、もっと走っている。出発時間は確か午後14時過ぎ。フランスはジヴェルニィから一旦、ロワシー空港で2人の部員を乗せ、緩やかにうねるピカルディ地方を超え、途中、スーパーマーケットに寄って食材購入。やがてベルギーに入ってゆく。そういえば、パスポート忘れてなしで行ったけれど、検閲なしで問題なし。
とりあえず、金曜日の夜は、ベルギーでテントを張って野宿をすることに。太陽がある内にテントを張りたいから、とベルギーに入って間もなくして、空き地を探す。選手の一人が言う。民家に行って、庭を貸してくださいって頼めば、意外とOKされるかも、と。もう一人が、「きみ、フラマン語話せるの?」と冗談を飛ばす。 ベルギーは基本的にフランス語が通じるが、確かに何度かフラマン語しか通じない人に出会ったこともある。結局、新築らしい美しくがっしりした民家の並ぶ通りを少しはずれた森のそばに空き地を見つけた。空き地と言っても、崩れた家が一軒。最初はその中でテントを張れば、と提案する部員がいたが、みんなあまり気が進ず、外にテントを張る。森で落ちた木などを拾ってキャンプファイアをし、そこで不器用ながらもハーブソーセージなどを焼く。これって、ボーイスカウト!ごっこ!?私は主人と同じテントに、息子は部員の一人とテントに入り、そして、ディレクターは車の中、残る二人の部員はまた別のテントをシェア。夜は12時を過ぎていた、と思う。結構、寒かったが、テントの中は比較的暖かく、寝袋に入れば、言うことなし。夜は風が強く、森の木々の葉のざわめきで中々眠れなかった。猫と花のことを思った。翌朝、部員の一人がよく眠れなかった、というが、理由は相棒のいびきがすごくてね、だった。全員、フランスと国境沿いのベルギーの片田舎を午前8時には出発して、オランダはハーグ市へ向かう。途中からオランダに入った、と誰かが言った。そうでも言わなければ、ベルギーとオランダの違いがよくわからない。平坦な土地、牛や羊がのんびりと歩く緑の田園地帯、レンガ造りの家々。やがて、ハーグ市の一角に。 実はそこでスポーツクラブの研修が待っていた。私は、急遽、アマチュアの同行カメラマン?に。主人もコーチであるが、研修に参加。上には上がいる。彼はこの日の二日前に、一人で練習中に足の裏を椅子にぶつけて足がおかしいくらいに腫れ上がっていた。ま、笑っちゃいけないんだけど。歩くときもびっこをひいている。それでも、参加。いいのかなあ。でも、医者からは、骨が折れていれば、びっこすらひけませんよ、と言われたらしい。レントゲンくらい取ったら、と思ったが、前日は塩水につけて、生姜を大量にふくんだタオルを足にまきつけて直すつもりでいた。フランス人がみんなこうだとは思わないでね。 オランダの町もすっきりしている。夕方、太陽の沈みかけているハーグ市から少し離れた海岸へ。リゾート地で、ホテルが建っていたり、広い海岸にはたくさんのテラス風のレストランやディスコがある。太陽が沈みかける海岸はとにかく壮大で美しかった。それにしても、未成年みたいな少年たちの中にはやけに背の高い子達がたくさんいるなあ、と。同行した部員のフランス人部員たちも主人もみんな180cm以上はあるのに、オランダには男女ともにもっと背の高い人が多いような気がした。 研修の後は、研修場所で、みんなシャワーを浴び、研修主催者のおごりで、ハーグ市内の中華レストランへ。私は研修を終わる頃から体調を崩し、食欲はなかったが、ジャスミンティーとお薬とおいしい野菜炒め少量ですっかり元気に。中国産のジャスミンティーには農薬がたくさん、なんて言ってる場合ではなかった。この土曜日の夜もハーグ市から少し離れた田園地帯の一角でテントを張って野宿。テント生活二日目には、ちょっぴり、ホームレス?している気分にも。テントを張った場所は、もともとは、自転車で散歩用に設けられた道の入口にあたる場所で、おおきな円形の湖がすぐそばにあった。少々の木の茂みもあった。気持ちのいい風が吹いてくるので、思わず湖のそばをちょっぴり走ってみた。 風の国、水の国オランダ。自転車の国。平坦な緑豊かな田園地帯、羊や牛の放牧地帯を走る並木道は自転車道で、自転車と軽バイク専用。そういう道は車は禁止されている。車の心配もなく、おいしい空気を吸って自転車を走らせるのは体にとても良さそう。よく、家族が自転車でそういう風景を走っている姿を見たが、いい環境だと思う。フランスにはそういう道は特にない。少なくとも、ノルマンディにはない。いや、意外に隠れた場所にはある。お城の近くとか。しかし、たいがいは、ツーリングの自転車走者をこの時期、特にフランスで多く見るが、みんな、飛ばしていく車の横を走らなくてはいけない。なんというか、ハーグ市の中も閑散としていて、金髪の若いカップルと7歳くらいの少年の親子3人が教会横の芝生の広場を広々とサッカーをしていた。翌日の日曜日は、大学都市レイデンを訪問してから、フランスに戻った。 レイデンはこれで2度目の訪問だった。日曜日だったからか、人が少ない。それでも、運河沿いのカフェテラスには太陽を浴びながらお喋りに耽る人々。私たちもカフェテラスの一角で休んだ。跳ね橋の上で出している古本屋でオランダを紹介した本を2ユーロで購入。お店のオランダ人の金髪碧眼の女の子は細くてとても美しい笑顔だった。その本は6ヶ国語に訳されていて、日本訳も入っている。誰が訳したのかな、と思ったら、ジャパンエアラインの訳で、何年に刊行されたものかは不明。 オランダの歴史は知らなかったけれど、スペインに占領された時期もあり、ベルギーと一つの国だった時代もあるらしい。それにフランスのナポレオンの息子ルイがオランダを手にした?こともあるそうな。複雑。勉強しがいあるかも。海面より低い土地に空港があったりするそうな。海岸地帯に小高い丘を造り、波が陸地に入るのを避け、それで、海面より低い土地を守っている。チューリップの国、ゴーダチーズの国。昔から飲料水が少ないので、ビールが栄えた、なんて書いてあった!そういえば、フランス人部員の一人が、オランダの国境を越えた時に、「ようこそ、酔っ払いの国へ!」 と叫んでいたっけ。 さて、ガソリンスタンド。オランダのガソリンスタンドはセルフだが、助かったのは、ガラス窓を洗うための液体が入ったバケツ一式が置いてあって、これは無料で使用できたことと、清潔なお手洗いとお店があったこと。ところが、フランスに入って、リール市でガソリンを入れた。リール市の中でもえらくうら悲しい一角だったようだが、ガソリンだけのセルフで他には何もなかった。こういう時に思い出すのは、日本のガソリンスタンド。ガソリンも従業員の人達がいれてくれて、窓までさっと拭いてくれる。あの便利さが今でも恋しい。もっとも、日本の姉が、電話で、最近はセルフの方が安いので、そちらに行く、と話していた。 さて、リール市の一角に、面白い近代建築が一つあった。ガラス張りのビルディングの周囲は、浅瀬のプールがあり、水草が涼しげに茂っていた。ビルディングの一部には、ワニスをかけた木材の外装が使われていて、ヒューマンさがあった。あとは、高速道路を走っていて、ほっとしたのは、威圧感のある窮屈なコンクリート塀の代わりに透明なアクリル樹脂の壁の向うに風景が見えた時だった。ちょっとしたデザインの視覚的工夫が与える大きな心理的自由感。帰宅する前にパリジャンの部員宅でジュースをいただいた。帰宅して、猫も花も無事だったので安堵。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
June 24, 2016 08:16:15 PM
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