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カテゴリ:Europe
フランスのノルマンディー、カルヴァドスに Bayeux バユ
という地方都市があります。 そう、あの強いお酒、アルコール度40度のカルドヴァス Caldovas の産地です。 巨大な美しい大聖堂が遠くから見えてきます。 この バユ に タペストリー美術館があります。 この Bayeux、日本語ウイキペディアでは、バイユー になっていました。 フランスの18世紀を舞台にした映画を撮りたくなるような建造物と通り。 Bayeuxのタペストリー美術館の前庭には、木造の古いヴァイキングの船が展示されています。 美術館の中には、縦50cm 全長70mのタペストリー(つづれ織り)が ガラスケースの中に展示されています。 このタペストリーはフランスの国宝であり、ユネスコの「世界の記憶」にも指定されています。 大人料金は7.8ユーロでした。(約1,000円) 学生は3.8ユーロ。 確か、小さい子供は無料です。 このタペストリーは、 イギリス最後のアングロ・サクソン系イングランド王ハロルドと ヴァイキングの子孫でフランスのノルマンディ公ギヨームの イングランド王の座をめぐる戦いが絵巻物語風に描かれており、 11世紀当時の人々が見たであろうハレー彗星も出てきます。 ハロルドの二人の兄弟の死も出てきます。 ハロルドはまだ若い二人の兄弟に戦場にでるな、と注意していたらしいのですが、 若気の至りで戦場にでてしまい、命を落としてしまったのです。 タペストリーは当時の兵士達の服装やまた船の様子、食事の様子など、 歴史的に当時の生活を垣間見る興味深いものとなっています。 このタペストリーは、どうも、11世紀当時、まだ読み書きできない人々に 戦いの物語を伝えるために、絵で理解させようと作られたものらしいです。 タペストリーは Odon de Bayeuxが注文したことは知られているようですが、 どこで作られたのかは謎だそうで、歴史家によってはイギリスのケントだったり、 ウインチェスターだったり、フランスのソミュールだったり、 と説はいろいろに分かれているそうです。 (そうあの白ワインで知られるソミュール Saumur) Bayeux のタペストリーは、 ハロルドがギヨームに イングランドの懺悔王の後継者は、ギヨームのものだと認め、忠誠を誓うけれど、 一旦、イングランド王の懺悔王が1066年1月5日に亡くなると、 ハロルドがちゃっかりとイングランド王の座につくという場面を語っています。 これが、ギヨームにとっては、ハロルドの裏切り、ということになったわけです。 それにしても、何故、イングランドの懺悔王が フランスのノルマンディ公ギヨームを後継者に指定していたのかなあ、・・・ それは、懺悔王も約30年間近く、デンマーク人 SVEN にイングランドを追放されて、 フランスのノルマンディ公リシャール2世のもとに身を寄せてもらっていたからです。 と、いうのも、懺悔王の母エマはノルマンディ出身だったのですね。 こどものいない懺悔王、みんな彼の亡き後の王の座を狙っていました。 ところで、懺悔王は、もしかしたら、ほんとうに聖人なのですね。 亡き後、36年後にお墓を開けたら、腐敗していなかったそうです。 この美術館の二階には、やはりガラスケースに入った当時の古い文献も展示されており、 横には、その文献を眺めるチャールズ皇太子と故ダイアナ妃の1987年の写真も飾られていました。 この文献は、11世紀の教会の人の筆によるものです。 川下 笑里歌さんのハープ演奏をご試聴ください♪ お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
February 11, 2018 02:45:48 AM
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