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カテゴリ:健康
つい最近インターネットで新倉勝美という人の話を読んだ。 癌患者を気で治してしまう人らしい。 それである呼吸法を得ると健康体が持てるようになるらしい。 新倉氏が格闘家だった時、気で人を押し返し飛ばしている映像を見た。 実はインドネシアの武術でペンチャック・シラットというのがあり、 この素手の武術も呼吸法がどうも少し新倉氏の呼吸法に似ている みたいなのである。 口をあけて息を吸い吐き出す時に歯の裏に空気をあてて音を出して呼吸をする。 ペンチャック・シラットのある修行映像を見たことがある。 一人不動で立つ若い女の子に他の男性達が3.4人で立ち向かっていくのだが、 みんな彼女に指一本触れることもできずに彼女の目の前で倒れていくという 練習風景がyoutubeで流れていた。 で、交代で、かかっていった男性たちもまた不動で立ち、ほかの人間が みんなでかかっていき、やはりかかっていった者たちが次々に倒れる。 疑問なのは、でも、みんな同じ呼吸法を取得しているのなら、 何故不動の人間だけが全速力で向かってくる人間たちを近寄らせないで倒せるのか。 不思議。不動で防御してしまうなんて。 全速力で向かう力だからかな。 新倉勝美氏の力は相手をふっとばしてしまう。 主人の友人が昔あるベルギーの不思議な力を持った治療士に指一本触れるか触れないかで 大きく吹っ飛ばされた話や、フランス人で日本にいた時、チベット人の瞑想者にやはり 大きく吹っ飛ばされてしまった話。 ちなみにこのフランス人の祖母なる人は机や椅子を浮かせる事ができた、なんて話をしていた。 でも、うそをつくような人ではなかった。 ペンチャック・シラットの修行を積んだ人の中には目隠しをしても物が見えてくる、 というか、実際は光というか色の波動を感じるようになるということらしいのだけれども、 それで、インドネシアの先生はこれは盲目の人にはとても役立つので もっともっとこのシラットを広めたいと思っていると語っていた。 新倉氏のお話に戻ると、格闘家だった時は気を攻撃に使っていたが、実はお嬢さんの病を治し、 それで気をもっと癒す方向に使いたい、と方向転換されて今はその「愛の気」を広めようと 頑張っていらっしゃるそうだ。 「ニューヨーク人間模様」に掲載されていた飯村昭子さんというエッセイストの記事を読んで感動。http://www.yomitime.com/ningen/59.html 江本勝氏という人ともつながりがあるらしく不思議な話ではない。 気が水を調和へと戻す。 心から揺さぶられる歌い方をする人も人の心を大きく癒している。 いや猫だって癒される。 姉のものとなった猫はオペラの蝶々夫人を聞いて曲にあわせながら尻尾をふり、おまえは指揮者だったの...? 至上の幸福ともいえる顔をよくしていた。 思うに、ベルナール・アッカ氏のような頑張りやさんも癒すエネルギーを使う方向に向かったらすごい事になるかも知れない。 気、思いの力。言葉の力。魂の力。愛の力。ありがとう。調和。 波動かあ、はあ。空気、ないようである空気。空気や水を伝わる気。 なんだか、それ以外の媒体もあるような気がする。 距離を越えて何かが通じてしまった時。これがわからない。 幸福を引き寄せる法則ヴィデオをちょっと見たけれど、 でてくるイメージは高価な車とか高級リゾートホテルとか物志向だなあ、 とふと気づく。 素敵な家に住んで素敵な車に乗ってしまえば、欲の深い人間の事ですから、 そこでそれが当たり前になり、また次から次へと別のものが欲しくなり、きりがない。 途中から過信に入り過ちをおかしてしまうこともあり得る。 スピードの出る車に乗るように。 いえいえ、私だって物は欲しいです、はい。(汗) でも、たぶん、そういう具体的な物を赤いにんじんのように目の前にぶらさげて 日々の正しい行いを地道に続けていく糧にはなるのかもしれない。 ただ、幸福を引き寄せる力の「力」はイメージ力なのだけれども、確かに 仕事の場でこう行動したらこうなるという結果を事前にイメージしておくと 何かスムーズにいくことがある。準備をしてのぞむということ。 さて幸福というのは静かに満ち足りた状態のことをいうんじゃないのかなあ。 精神統一。澄んだ世界。 と、すると、毎日、土の中にまいた種に水をやり、やがてそれが芽をだし、やがて いつかは美しい花が咲いてくれたら、あるいは病気の人を看護してその人がもとの 元気な姿になってくれたら、馬鹿だ馬鹿だといわれていた生徒の勉強を見てどんどん 学んで理解していってくれたら、それはとてつもなく大きな喜びに満ちた瞬間。 種に水撒きをしている時は、やがて咲いてくる花をイメージしている。 患者がやがて元の元気な姿になることをイメージしている。 生徒が必ず学ぶ事や理解する事の喜びに目覚めてくれることをイメージしている。 そういうイメージの力には「本来ある姿に戻す」という観念がある。 可愛いポシェットを作りたいと思う人も可愛いポシェットをイメージ想像しながら、 その過程を楽しみ、最後にいよいよできた時はとても嬉しい。 失敗してもまた次につくろうとするだろう。 けれど、自分の欲しい車をイメージするのは何だかまるで違うような気がする。 こちらは「ねだる」世界。自分には作れないものだから欲しいのか。 コンサートに行きたい、とか思うのも、ねだる世界。 いえ、そういうおねだりも多少はないと。 全面的に否定しているわけではなくて。 でも時には「おねだりエネルギー」を忘れてしまってもいいと思う。 一方、車の設計士が安全な車を設計して、まず自分が不安なく運転している姿を イメージしている。そして成功すれば、自分ばかりでなく他人も喜んでくれる。 こちらは「自ら働きかけて自分が嬉しい」世界。その過程も。 それがまた本来の無我夢中になれる仕事のあり方でもあると思う。 芸術でなくても創造性というのはそういうことか。 自ら働きかけて少しずつ達成していく。 けれど、漠然とでもこうしたらこうなるという結果が すでに半ば確固たるイメージとしてある。 自転車に乗ろうと練習する子供は自転車に乗れて当たり前な自分のイメージがある。 自ら働きかける、というのは自分のエネルギーと時間を注ぐということ。 なんだかまた「星のおうじさま」のお話になる。 たいせつなものは目にみえないんだよ。 時間をかけた相手が特別の存在になっていくんだよ。 静かに満ち足りた幸福かあ。 良い一日を。 マンチェスター出身のバンド ベガジョーBeggar Joe ベガジョーと知られる前のマンチェスターの 時の姿はこちらです。 街角で歌っていた時のベガジョーBeggar Joe 2007年 川下 笑里歌さんの心洗われる美しいハープ演奏♪ ごっちゃ箱 現代詩人 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
April 9, 2017 10:19:23 PM
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