|
カテゴリ:命の尊厳
もともとフリーランスのジャーナリストとしてベルギーに拠点を置いて活動していた作家のミシェル・コロン Michel Collon 氏が2016年に語った話のほんの一部ですが、大雑把に和訳しました。
Propagande de Guerre, festival de médias mensonges et complot ? 90-91年代はイラク戦争に関して、メディアのフェイクニュースの祭典でした。 1990年に11月に起こった保育器に入った赤ちゃんの話です。米国コングレスに依存するある調査委員会で、15歳の看護婦となのる少女が涙ながらに証言します。 内容は、イラクに3か月以来占拠されたクエート市の産院で働いていたが、ある日、イラク兵がやってきて、保育器に入ったままの32人の赤ちゃんを盗み、床に捨てるという極めて残忍な行為をした。保育器に入っているわけであるから、赤ちゃんたちは未熟児であっただろうから、惨い形での死は免れないものであっただろう。かくして、イラクによる占拠はひどいものである、とこれに対して何かしなくてはいけない、と。この話はメディアによって拡散され、ブッシュ元米大統領やミッテラン元仏大統領もアムネスティもこの話をして、赤ん坊すら犠牲にするサダム・フセインを撃ち落とさなくてはいけない、と。 で、戦争後、クエートが解放された時、ありとあらゆる記者たちが当時の告白証言などスクープをと、その産院に向かった。その産院の医者たちは、この病院の保育器ですか、ありますよ、ほら。何も全く起こっていませんよ。と。 涙ながらに証言をした看護婦は、実は看護婦などではなく、ワシントンの、クエート大使館の娘さんだった。彼女はパパと一緒にワシントンにいたわけで。これはヒルアンドノウルトンという会社が用意した演出だった。そのような会社が複数アメリカにはあって、外国の政府の印象を良くするための仕事をしている。イスラエルも、サウジアラビアもやったことで、南アフリカもアパルトヘイトの時はそういう会社を使った。クエートもそのようにそういう会社に仕事を依頼したわけ。が、クエートの印象を良くするというのはたやすいことではなかった。と、いうわけでフセインを悪魔の如く見せる手段に訴えた。保育器の赤ちゃんの話は完璧にでっちあげられたものだった。 ユーゴスラビアで二段階で戦争が起こり、まずクロアチア、ボスニアで91年から95年、そして99年、戦争の理由がコソボを解放するという名目でした。しかし実際は一つの独立国であったユーゴスラビアを破壊するためでした。国連に加入したくなかった独立軍。多くの問題を抱えていたが、それほど深刻なものであったわけではない国。とりわけ手厚い社会保障制度や雇用保障がありました。 企業の雇用者と被雇用者、多国籍国家。ベルリンの壁が落ちた時、東は社会主義、ユーゴスラビアは多国籍型に抵抗した唯一の国だった。 それを私は本に書いたのです。"Poker menteur" (嘘つきポーカー) "Monopoly, l'Otan à la conquète du monde"(独占、世界制覇を目指す国連)です。実際は失われた地帯の再植民地化のための戦争だったんです。 私はそれをテーマに仕事をしていて、最初はその予定ではなかったけれど、「メディアには注意」と言う本はよく売れました。それは、ヨーロッパではメディアを批判する初めての本でした。米国ではエドワード・ハーマンとチョムスキーがいましたが。彼らの本には非常に刺激を受けたのです。"Manufactoring consent" 同意(あるいは合意)をつくること。 つまり、彼らは米国の主流メディアを対象に、一種のメディアテストをし、二つの対立する la couverture (普通に訳すと、『表紙』だが、記事の事かも) を分析するんです。分析ではまず量的に、また質的に行っていた、そのやり方に刺激を受けました。そのやり方を私は1990年1991年の湾岸戦争に用いたのです。これは大成功し、衝撃的で、多くの人が関心を持ってくれました。やはり、「メディアに自分は操られているのか」と。 この時、米国は私に仕事をくれなくなるということもなく、何故なら、あの時代は、「新世界秩序」が謳われ、戦争はなくなると、まあ、あの時以来、戦争がなくなることは決してなかったんですが。と言うわけで、私はリビアや、ほかの出来事を専門とする作家になったといいますか、戦争の策略とプロパガンダですね。 ...私は、戦争は爆弾から始まるのではなく、メディアの嘘から始まると言っています。... 戦争は最初に自国民の世論を完璧にこの戦争には反対させない、とするところから始まります。何故なら過去の戦争では、抵抗する者たちが内部にいて終息する、ということが起こっているからです。たとえば、ベトナム戦争ですよね。 例えば、国連の嘘として、リビアだけども、カダフィがデモを行っている民間人(非武装)を攻撃していたというのはことごとく嘘だったし、兵士たちにバイアグラを送り、婦女暴行を働いていた、と言う報道もでっち上げでした。私は爆撃を受けている最中のリビアに二度行って調査しています。その話を現地ですると、バイアグラって何?僕らはショウガしか知らないよ、と鼻の先で笑われました。... カダフィの石油が狙いの戦争でした。カダフィのゴールドは米国の銀行に置かれ、彼に戻す気はなく。カダフィが国際通貨基金のマルチナショナルの脅迫を避けるためアフリカ代替開発企画に投資するのを妨げるためだった、と。... リビアは負債のない珍しい国だったんですよ。 と、言うのが、一部和訳した部分です。動画はフランス語です。 この二年間のフランスを見ていて、カナダやイタリアもそうですが、何がほんとうで何が嘘なのか, 誰が言っていることを信じていいのか、と非常に考えさせられることが多かった。 なんというか、特に映画のように悪と善があれば、当然、視聴者は善を応援するわけで。だから、まず一歩引いて落ち着く、ということが大事なのでしょう。 頃惑に関しては、メディアの報道することより、専門家たちはどう受け止めているか、たとえ、自分に専門的な分野に立ち入って理解するほどの知識がなくても、あるレベルまではわかるわけで。特に専門家たちが互いに実験結果、観察結果から対立することはよくあることで、そこにさらに政治的な圧力がかかわり、また歪められてしまうか、あるいは良い方向に進められるか異なっていることもある。 キュービスムの絵ではないけれど、多面的に見て、自分は何を受け入れるか、と。 何か、信仰になっちゃうと危険かなあ、と。対策はこれしかない、みたいな。 Propagande de Guerre, festival de médias mensonges et complot ? 別の動画でしたが、ミシェル・ミディ氏と言う人も、 ウクライナ侵攻の報道の中には、兵士が恋人と列車の前で抱き合う写真があって、これが実はまったく別物の写真だったことや、中にはゲームの戦闘シーンを事実であるかのように記事と一緒に見せているものなど、とにかく偽物フェイクニュースには注意が必要だ、と語っている。 ミディ氏曰く、 何故、そこまで嘘がつけるのかわからないくらい。でも、メディアに流れ、人は信じたわけです。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
March 11, 2022 08:28:24 PM
コメント(0) | コメントを書く
[命の尊厳] カテゴリの最新記事
|