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カテゴリ:命の尊厳
アン・ロー・ボネルさん Madame Anne-Laure Bonnel はフリーランスのフランス人ルポルタージュ記者と言えるだろうか、最初は記者という肩書だったが、その肩書はもうやめたとも話している。
ウクライナでは死の脅迫を受けていると話していたその動画は2022年2月中旬のものだろうか。2022年3月17日のインタビューでは、2月23日頃にウクライナの東側のおそらくドニエスクを出て、二日かけて、3週間前にフランスに帰国した、と話している。 彼女はウクライナかロシアか、というどちらかの側についているわけではなく、極めて客観的で、あくまでも武力行為には反対している立場を強く伝えている。誰かを責める立場ではない、と話している。2014年以来のウクライナの市民戦争を総括的に伝え、武力行為に苦しむ市民が解放されることを願っている。物事は両面から見るべきである。なので、多くの人が知らないこのことを伝えたい。何故、ミンスク合意は守られなかったのか、とも問うている。戦争が市民にどのような悲劇を生み出しているかを彼女は伝えたい、と。 フランス語で詳しくご覧になりたい方は↓ Interview du journal Le Monde avec Anne-Laure Bonnel そうこうしているうちに2022年2月を過ぎてロシアの侵攻があった。 彼女がドンバスで起こっていたことに関心を持ったのは、2014年2015年、もともと彼女の子供のパリ市内のクラスにウクライナ人の同級生がおり、同時期に彼女はフランステレビジョンで何か最高賞を受賞し、なので少し有名になっていた、で、そんな彼女は、彼女の娘さんの同級生の誕生日パーティで同級生の父親からドンバスで起こっていることを知らされた。それは彼女は全く知らないことだった。彼は現地の映像などを見せた。彼女には信じられない映像だった。(...) 彼女はウクライナのある記者がドンバスの人間の15000人を〇せばいい、何の役にも立たない、という発言すらするのを耳にすることもあった。そういうことがきっかけだった、と話す。 ドンバスはウクライナの東側に位置し、ロシア正教会の信者が多く、ロシア好きであり、一方西側はカトリック教徒が多く、どちらかというと、欧州的である。こういう民族的問題をウクライナはかかえてきた。しかし、どちらの側であっても、ウクライナの人が望んでいる最大のことは平和だ、と。 想像できない。たとえば、関東と関西で民族問題が起こって一つの国が分断寸前まで行くと言った感じだとするなら。フランスでは最近、あれ打つ人と荒れ打たない人が出て、大統領が荒れ打たない人を「くそ」追い詰めてやると言った発言をフランスの国民に激しく非難する人がたくさんでた。少なくとも60%はショックを受けたとアンケートでは出ていた。大統領はスケープゴートを見つけ、国民の分断を狙ったが、自分たちはその手にはのらない、と、いくつかの市町村まで、大統領の写真を町長室から外す現象も起こった。65歳になるあれを打たないある人は大統領の発言にフランス国民として屈辱を覚えた、と抗議の手紙を送ったりもしたことが記事にもなった。国民の分断すなわちスケープゴートの誕生。いじめの対象をみつけることで一致団結につなげるやり方は往々にして非人道的な行為に巻き込まれる、そうはいかない、と。 話は少し脱線したけれども、ボネルさんは、そこからウクライナに関心を持ち、ウクライナに2015年に訪れてみて、ウクライナ、ドンバスで起こっていた市民戦争にショックを受けた、と。 彼女は、ウクライナに2015年に行き、現地で見た惨状を報道したが、フランスのほかのメディアなどから少なからず批判を受けたそうだ。たとえば、ウクライナでは13000人の非武装市民が犠牲になった、と語った点などは、ほかの公式発表には犠牲になった市民は4000人前後で、あとは武装した者たちだった、などを始めとしていろいろ指摘を受けてはいるらしい。 2021年の3月だろうか、ウクライナのドンバスやオデッサで起こってきた紛争を語っていた。 2014年に起こった紛争というか、ウクライナ政府に反対するに組織がドネツクを一つの国家としてみなし、武装蜂起していた。 戦場で起こったことなので、2014年、ウクライナのオデッサで犠牲になった人々の話は、とっても残酷過ぎて書けない内容。 爆撃され、家を失った人々、涙する幼児たちの心が痛くなる写真が写る。 冬には氷点下20度になるドンバスはウクライナの中で、ロシアを愛する人が多い地域。ロシアを故郷と思っている。が、ウクライナ人とも思っている。 が、こういう人々をウクライナが迫害していた。かと言ってロシアからも両手で受け止めてもらえるようなことはない。(これは2014年の話か。別の話では、行き場を失ったこの地域の人々にロシアの国籍を与えていたという記事もあるが、それがいつの頃か) このドンバスの子供たちも相当の犠牲を受けていた。 またウクライナの大学卒業資格を持ったとしても、ドンバス出身者は除外されたこともあったが、モスクワではそれは解除された話。 ドンバスでは、医療は無料。 2018年でもドンバスの人々も爆撃が日常茶飯事のこととして受け止めるしかない状態。 国は国として回復を試みてはいた。 ウクライナ軍がウクライナの東側 ドニエスクやルボンスクに介入していたので、ロシア軍が攻撃をしていたのではない、と。 アン・ロー・ボネルさんはこれは市民戦争ともいえるといい、写真家のイラン系フランス人の青年 Yegan Mazandarani と言う人も2014からウクライナで起こっていたことは市民戦争だ、と話している。 アン・ロー・ボネルさんはオデッサで起こった虐殺の罪はいまだに裁きを受けていないとも語る。 自分は、内紛状態がずっと続いていたんだ、と言うことはほんとうに知らずにきた。 6年も続いてきていた、と。それで、2022年も続く。何なんだろう。 彼女はミンスク合意は守られてはいなかった、と。 ミンスク合意というのは、親ロシア派武装勢力とウクライナ軍による戦闘の停止を提唱した和平合意で、2015年2月にロシア、ウクライナ、ドイツ、フランスの首脳たちが決めたそうである。 パリから飛行機で二時間20分の場所で、と言っている彼女の動画もあるが、それは普通に行ける場合だろうか。フランスのル・モンド紙との電話での話し合いで、彼女はドニエスクの郊外のカフェでスマホ片手に話す別の動画では、パリからドンバスまで最低24時間はかかるとも言っている。パリからモスクワまでおよそ3時間の飛行時間、モスクワからロストヴまで列車でおよそ13時間、ロストヴからドンバスまでは非常に複雑困難で5時間から7時間かかる、と。 彼女は2015年から10年間はキエフへの立ち入りをウクライナ政府から禁止された、と言う。及び、政府かどうか不明だが、死の脅迫も受けた、という。たぶん、これまでのウクライナの市民戦争を報道した関係だろう。パリから3200キロメートル先のドンバス。車だと37時間。 Yegan Mazandarani 氏はこの紛争は終了しなくてはいけない。この狂気を止めなくてはいけない、と一年前の2021年に語っていた。 これはまだロシアの侵攻が始まる前の話しだった。 どちらにしても、今2022年3月中旬のロシアは、ウクライナに爆撃をしてしまっている。 一体どうなってしまうんだろう。 Rien ne justifie la guerre. 戦争を正当化するものなど何もない。 La guerre, c'est l'horreur. 戦争はただおぞましいもの、... 経済制裁は何の役にも立たない。ロシアを中国に近づけた。 私の個人的な意見だけど。私は政治家じゃないから。 マクロンとプーチンはコンタクトをとり続けなくてはいけない。 イラクへの経済制裁はどうだった、苦しんだのは市民だった。 若者を戦場に送るなんて。 と、ドンバス現地に滞在中のアン・ロー・ボネルさん Madame Anne-Laure Bonnel は言う。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
March 18, 2022 01:14:01 AM
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