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テーマ:愛犬のいる生活(77290)
カテゴリ:世間っつうか
今、わたしが住んでいるこの地域の人たちが一番恐れているのは『津波』である。
わたしの家から海岸まで直線で500Mほど。 もしも日本でスマトラ沖地震並の津波が発生したら、、、、、というニュースをよく見るが、 「建物の3階以上、上に逃げて下さい。」 →→「3階以上っつったって、うちは屋根裏?だったらピンさん上がれないよ。だってハシゴだもん」 「ゆれを感じた時点で高台に逃げて下さい。」 →→「高台っつったって、すぐ後ろが山だから山登れってこと?」 「潮が引いた時点で高台に逃げて下さい。でも、潮が事前に引かない場合があります。」 →→「じゃあ、とにかく揺れたら逃げろってことね!」 いろいろな番組の専門家たちの話を聞き、自分なりにまとめると 「津波発生した時点でもう、あかんやん!」 一応、逃げる場所と逃げる道を頭の中にはインプットしているけど、、、、、、、 こういうことを毎日考えているとドンドンと奥深く考え込んでしまって、 最終的には、もし死ぬなら 「あ!」 って後ろ振り返った瞬間に、わたしもPinkyもLittle Sisterのもとへ一瞬のうちに 連れてってください!と、神に祈るしかない、、。 被災地ではまだまだ復興の光は見えず、伝染病などが心配され、 行方不明者も見つかるかどうか、、、そんな状態。 なのに、そこに観光客が既に戻ってきているっていうのは何故? 海で泳いでいる人がいるってどういうこと? 亡くなった方々や、ご家族の方々、家を失い、全てを失った方々に対して 「気持ちを汲む」 という感情はその人たちには生まれないのかな? 『喪に服す』 ってこと知らないのかな? 喪に服している人たちをどうしてそっとしてあげないんだろうか? 人間は不思議な生き物です。 Pinkyを連れて歩いていると、犬好きの人が声をかけてくる。 「おいくつですか?」 年を聞かれて 「10歳です」 と答えると、未だに返って来る言葉が 「震災後の子?」 もしくは 「震災前の子?」 である。 この地に住み始めた頃は 「すいません、当時ここには住んでなかったので、、、、、」 と、言葉を濁していた。 この地で生まれ育った人たち(特にお年を召した方)は、震災が自身の人生を振り返る基準の地点となっている。 そして、当時大切に家族のように暮らしていた動物たちと生き別れになってしまった人たちがいる。 もうすぐ阪神大震災から10年が経とうとしてる。 Pinkyを連れて遠出をしていると、 「この子はね、震災で家族を亡くした子なんよ。わたしが、おとうちゃんの分、おかあちゃんの分、おねえちゃんの分、おにいちゃんの分、みんなの分、あんたが長生きして幸せになろなぁー!って育ててきたんよ」 と、老犬を連れてそんな話をしてくれる人もいる。 そういうとき、わたしは何も言えない。 かける言葉が見つからない。 そういうときはそっとワンちゃんを撫でて微笑みかけてあげることしか出来ない。 でも、それでいいんです。 相手の気持ちが分かるから、分かれば分かるほど何も言えなくなるものなんです。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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