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テーマ:お盆(298)
カテゴリ:視・紙・誌面から
お盆が来るたび、「いつからいつまでだったっけ?」と思い返す高齢者だ。改めて調べてみると13−16日となっていた。地方によっては7月にするところもあるらしい。今年は10−12が連休で、息子一家も帰って来たが、15日までいると言う。
ネットで調べたら13日の午前中に墓参するという。その前に仏壇を掃除しろ、ともあったが、今日は孫4号のRSウイルスも一応片がついたので、娘一家もやってきた。一杯やったあとで見たから、今更掃除なんぞできるか、と、明日やることにした。 毎朝毎夕、仏壇に参り、経を読み、御文章を読む。それだけ書いたら「熱心な仏教徒」と思われるかもしれないが、一度死んだ人がお盆に帰って来るなんてとてもじゃないが信じちゃいないし、仏壇の維持にも今後どうするか答えを出せていない。私がいつまで生きているかでこの家をどうするかという子供たちの感覚も変わってくるだろうし、いっそ散骨でもしてお骨なんぞに囚われない生活の方がマシじゃないかと思っている。 仮に「仏様を大切に守っていけ」なんて言われたら、子供の方だって言い分があるだろうと思う。御文章は蓮如上人の手紙だと言うことになってはいるが、室町の時代に書かれたもので「信じよ、疑ってはならない」「後生助けたまえ」の繰り返しで、おそらくは脳の活動が停止した後には何も感じなくなるだろうと考えている私の思考とは全く合わない。室町の頃なら極楽・地獄思想が通用しただろうが、現在はこう言う不埒者の方が多数ではなかろうか。 お盆という文化は消えることはあるまい。その時に縁者が寄り合い、故人のことを思い出して笑いにしてくれたら、何もいうことはないと思う。親たるもの、子孫の平和と健康を願うのが仕事みたいなものだ。「魂が戻ってくる」というのは、みんなで故人のことを思い出そうよ、という呼びかけと考えれば良いかもしれない。胡瓜や茄子で作る「馬」とやらは私の生活圏ではあまりやらない。私が作って見せたら、「こんなことやってたなあ」と思い出すかもしれないが、高値の野菜を買えというのもかわいそう。 先祖を偲ぶ、ということで盆正月の節目があると思えば気も安らかになるだろうか。酒が入ったら一瞬でどこかに飛んでいきそう。まあそれでいいと思っている。平安と健康が一番だ。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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