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カテゴリ:当事者主権
先日、日本司法書士会連合会主催の「ADRの魅力を考える」
というシンポジウムに行ってきました。 参加者の人数は多かったし、「ADR」という横文字の割には 一般の年配の方々の参加が多かったことには驚きました。 ADRとは、裁判によらないでもめごとを解決する手続です。 裁判所でやっている調停を町なかで司法書士や弁護士がやり、 その結果に対して国が法律で一定のバックアップをする といった感じでしょうか。 これまで民間の話し合いには、法律上の効果はなかったが、 ADRの認証を国から受けた団体が行った「もめごと解決」に、 「時効中断」の効果や、並行して行っている裁判について その中止をさせる力を与えるというものです。 残念ながら、執行力を与えるものにはなりませんが。 もめごとの当事者が自分たちで話し合いによって もめごとを解決していくことをサポートすることが 基本的な考え方になっていることに、私は共感しています。 要件事実論(裁判・訴訟の世界の言葉)といった数学の方程式 のようなものへの当てはめや論理学では割り切れない 「感情のもつれ」にもとづくもめごとといったものは、 生活の中で山ほどあるのではないでしょうか。 確かに訴訟で決着をつけるべき問題もあります。 しかし、そういう問題ばかりではないでしょう、 ということなわけです。 テレビで見ていてかっこいい代理人が、 生活の中では、本当の主人公ではなく、 当事者こそが主人公であるはずです。 話は突然変わりますが、私はこのシンポに参加して このブログのタイトルを変えようと思いました。 つまり、「ほうりつか(法律家)」という存在しない職業 をめざすことはヤメにしようと思ったわけです。 私の職業は現在司法書士であり、存在している職業で 専門家であるわけで、高度な職業上の責任を自覚して 仕事に取り組んでいこうという考えに変わりはありません。 しかし、一方で私はあくまで一市民でありつづけたい、 法律家なんて呼ばれることをめざすよりも、市民とともに あり、その中の一人として社会を変えていきたいという 考え方にどうしても惹かれてしまうのです。 話が脱線して、理念的な私の悪い癖が出てしまいましたが、 ADRには、機会を作って取り組んでいきたいと思います。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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