広島・長崎の火
お正月気分も一掃された頃かもしれません。先日、冬牡丹を撮影にいきましたが、その東照宮でも少し写真を撮りました。そこで発見したのは「広島・長崎の火」です。今日はちょっと重い話です。この(火)碑の前に、説明板が・・・1945年8月6日・9日、広島・長崎に人類最初の原子爆弾が米軍によって投下され、一瞬にして十数万人の尊い生命が奪われました。そして今も多くの被爆者が苦しんでいます。 広島の惨禍を生き抜いた福岡県の山本達雄さんは、叔父の家の廃墟に燃えていた原爆の火を故郷に持ち帰り、はじめは形見の火、恨みの火として密かに灯し続けました。しかし、長い年月の中で、核兵器をなくし、平和を願う火として灯すようになりました。1968年8月6日、星野村は、この「広島の火」を「平和の火」として、村人の協力によって今日も灯し続けています。核兵器に使用は、人類の生存とすべての文明を破壊します。 核兵器を廃絶することは、全人類の死活にかかわる緊急なものとなっています。 第二のヒロシマを 第二のナガサキを 地球上のいずれの地にも出現させてはなりません これは「ヒロシマ・ナガサキからのアピール」(1958年2月)の一節です。1988年、3千万人のアピール署名と共に「広島の火」は長崎の原爆瓦からとった火と合わせて、ニューヨークの第3回国連軍宿特別総会に届けられました。 同年4月、「下町人間のつどい」の人びとは、この火を首都東京上野東照宮境内に灯しつづけることを提唱しました。上野東照宮嵯峨敞全宮司は、この提案に心から賛同され、モニュメントの設置と火の維持管理に協力することを約束されました。広範な人びとの呼びかけによって、翌89年4月、「上野東照宮境内に『広島・長崎の火』を灯す会」が結成されました。それから1年余、数万人が参加した草の根の運動と募金により、1990年7月21日、モニュメントが完成しました。被爆45周年を迎えた8月6日に星野村の「広島の火」が、8月9日に長崎の原爆瓦から採火した「長崎の火」がこのモニュメントに点火されました。私たちは、この火を灯す運動が、国境をこえて緊急に求められている核兵器廃絶、平和の世論を強める全世界の人びとの運動に発展に貢献することを確信し、誓いの火を灯し続けます。1990年8月 上野東照宮境内に「広島・長崎の火」を灯す会実はこのようなものがここにあることを知りませんでした。散歩は新しい発見と、また再度考えさせられる問題提起を私にくれました。戦争はいやだ。。なんていうのは簡単。もしくは責められたらやり返そうなどというのも簡単。でも、東京大空襲・・、各地の大空襲。そして、広島、長崎は爆心地は一瞬で焼けて消えてしまうほどのものすごさだったのです。そして、今なお残る身体の後遺症・・、被爆2世の発病など・・、また後世にも影響を残します。このPCを動かす電気も原子力のおかげですが、実際はエネルギー革命はもうそこまできています。核燃料や化石燃料にも頼らなくてよい時代がきているのに、まだ核に頼っているのはおかしいと私は思います。介護問題もエネルギー革命をおこし全ての単価を下げて、なお富の分配を国民(我々非特権階級)にも均等にわけてくれればずいぶんと解決の糸口もみつかるはず・・。それなのに、世界は核が引き越す怖さを理解できていない。ピストルやナイフを持つのとは違うということを日本が世界に知らせなければならないと思っています。それなのに、核を持つという議論をしようなどとは、許せないと私は思います。ひっそりと社の奥に灯し続ける核の火・・どうぞご覧下さい。広島・長崎の火 正面図 この後ろに展示もあります。金箔が貼ってありますもしかしたら左甚五郎彫刻の龍・・右か左か両方なのか忘れました。なんだか大きな鈴・・火をもう少しちかくで冬牡丹・・