カテゴリ:ひとりごと
今日が最後ということもあったが、
実際には見たいと思うものなど、なにもなかったのだ。 企業パビリオンにはまったく興味がわかなかったし、 なにより人の行列だけが目に付いて、 とても並んでまで入る気がおきない。 各諸国のパビリオンをいくつか覗いて見た。 特に、どこもなんとはないのだ。 アジア諸国に親しんできた私にとっては 目新しいものはないと、いうこと、なんだけどね。 でも、ただひとつだけ、思うことがあった。 それは、前回の万博来訪の際にはあまりの人混みで入場できなかった、 トルコ館。 前回は私の友人でもある、 親愛なるダービッシュ(修行僧)の友人が来日していたこともあり、 トルコナショナルディーとも重なって、 トルコ館は午前中から3時までの間、 要人(政治家達)のみの貸切状態になっていたために 大変混みあってしまったのだった。 と、いうわけで、前回はあえなく入場を断念し、 他パビリオンをみただけにとどまったんでした。 で、今回。 友人のすすめもあって、なにげなく行ってみた。 さして期待などしていなかったのだけれど、 びっくりした。 さながら、そこはサマーディか、テッケ(修練場)か。 なんとも美しい幻想空間なのでした。 幾何学模様をあしらった円形のドームに 淡い光に 美しい宗教ミュージック。 その音楽はまさに、メヴレヴィーの宗教儀式で使われる スーフィーミュージック。 そして、そこかしこにおかれた 神秘家の言葉たち。神秘詩。 大理石の中ほどのドーム内に私達は腰をおろし、 しばし休息することにした。 大理石の感触が、 むかしをおもいおこさせる。 旋回するダービッシュの映像が 画面をいっぱいにする。 でも、やはりここは、万博のいちパビリオン。 観客達はその順路をただ素通りし、去っていく。 途切れる事の無い、人々の列、走り出す子供、 会話をしながらただ行きかうだけの人の流れ。 探す者は、見出すであろう。扉を叩け、ならば開かれるだろう そんな神秘家の台詞がよぎる。 やはり、神秘道というものは そういうものなのだ。 そして、叩くもの、叩かざるもの、 みな、ひとつの道の上なのだ。 そのどれにも 開いて見さえすれば、 そこにはどこかしこにも「神」がいる。 神の臨在は感じようとさえすれば 世界中に満ち溢れている。 You have seen the sun set, so watch it rise. Does setting bring any harm to the sun or moon? What seed ever fell to the ground without growing? Why doubt that the seed of man will grow when it is sown? Mevlana Rumi サンセットをみたのなら,またサンライズをも見なさい 太陽または月のどちらかが害であるなどといえるものか? どんな種子であれ、成長しゆくことなくして大地に落ちるものか? 疑うものか。種まきの時、その”人”という名の種子の成長を。 捜し求めなくともそこどこに在られるのだ。 「「おお神よ」と一言祈れば、 「私はここにいる」という言葉が 何千回もこだまする」 Mevlana Rumi お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
Sep 26, 2005 03:54:33 PM
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