カテゴリ:ひとりごと
寒くなりました。 すこし、寒ぼろ(遠州ではこういいます、鳥肌のこと)がでます。 寒いと逆立つ毛、、、 せみもまだ鳴いてます。 鳥も鳴いてます。 虫も、、あ、虫は今は寝てるのか・・・。 遠くの家から聞える、人の声がやけに鮮明に響きます。 なんか、おもいだす、ある風景がよぎります。 (それはインド・ネパール) 空気が乾燥しはじめたからかな? やけに音がきれいに響いて心地よく届く。 静か、 です。 どぉ~ん、と空がうねる音がします。 不思議な自然の音の饗宴 うむ・・・。 静か、 です。 まったり、その涼しい風と、静かなる音とたわむれてたら 思い出しました、昔のワンシーン。 それは、私がまだ、OSHOの弟子となる前の事、(はるか14年前です) 小さな東京の片隅の狭い4畳半に住んでたときのシーンです。 なぜか、そのときの私は、絵を描いてました。 水彩画で、へたくそな絵を描いてました。 その絵は真っ赤で、螺旋を描いた炎のような絵でした。 すこしのグリーンがはいっていて、中ほどは真っ黒な円の 螺旋の抽象画でした。 なぜそのような絵を書き上げたのかよく覚えてません。 その絵に、師ルーミーの詩の1節を筆で載せました。 その一節をどこで見つけてきたのかも覚えていません。 その詩の言葉ひとつひとつも、 もう うろおぼえ です。 確か、こんなような詩でした。 ”外は戦火の螺旋の炎か いかに外側が荒れ狂おうと わが内なる平安は いつも静寂に満ちあふれている” こんなような感じでしたでしょうか。 原文の詩をネットで捜して見ましたが、 まだ検索できてません。 その詩になぜだか、たいへん心を打たれて、 自分の感情を吐き出したような、真っ赤なその”うずの絵”の上に その詩を載せた時の自分の姿がふと見えました。 思えば、あの頃から、 すでに、メヴレヴィーの教えに触れていたのね。 その当時はルーミーがどんな人物なのかまったくしらなかった。 たぶん、OSHO系のところで見つけた”なにか”に その詩が載っていたのだったと、おぼろげに覚えているだけ。 その後しばらくして、 瞑想を始めて、近くにスーフィーの瞑想をしているとこもあったので 行きはじめたんでした。 ただ、そのスーフィー瞑想は、 ネイチャーメディテーションと言う、 インドのハズラット・イナヤット・カーン率いる教派でした。 なので、ルーミーのそれとは少し違ってたんですね。 あまり、通うことはありませんでした。 そういうわけで、OSHOの方に進んで行ったのね。 ・・・と、話はそれましたが、 昨今のいろいろな事件や、事故の多いさなか、 世の中の氾濫をみながらも、 内なる静けさは、 思い出してみつめてみさえすれば、 いつでもそこは 平安 と 静寂 にみちているんだなー、 なんてしあわせなことだろう。 などと思うのでしたー。 まったりしながら・・・、 ぜいたくね。(感謝) いちにちもはやく、 世の中すべてが 平和にみちあふれますように。(祈) 全人類総悟り も、もうすぐそこじゃよ。 たぶん。 できれば。 できるとき。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
Sep 29, 2005 11:52:24 AM
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