カテゴリ:スーフィズム
ラビア・アル・アダビアは言う。
愛するものと愛されるものには一切の隔たりはなく・・・・ わが師(メブラーナ)ジェラールッディンルーミーは言う、 それは、すべて私だ。 キリスト教徒、無神論者、偶像崇拝者、学問の徒 すべての善と悪と、天と地と、 それらが抱くすべてのもの、 それは、私だ、と。 観るものと観られるものにも一切の隔たりはなく、 そこにはなんの違いもないのだろう。 スーフィーはすべてを包括し、なおかつ超越する。 そこに一切の我が入り込む余地などなく、 瞬時にそれと同化し、消滅する。 と、同時にそれを認めるもの、識別するもの、観察者が同席し、 そしてその観察者も入り込む余地などないほどに、 一瞬にして、その対象物から消滅する。 まさに、真我のみがそこに存在し、我の入り込む余地など認めないのであろう。 あなたは白い薔薇を見て、我を忘れるほどに見つめたことはないだろうか、 そのたぐい稀なあまりの美しさに一瞬我を忘れ、 白薔薇と共にあり、白薔薇そのものになる、 そこに一切の隔たりはなく、なおかつ、我欲を越えている、 白薔薇は自分そのものであり、自分は白薔薇そのものである、 まさに、観るものは観られるものである、とでもいうように。 だが、スーフィーはその特異の修練によって、通常の意識を毎瞬一定のレベルに導くように習慣付けられる、そうした時に初めて、すべてのものが同一であり、また超越し、消滅する、という境地を体得するのである。 それもこれも、否、そして私である、と。 (それもこれも私である、そして否、を同時に含む) すべての愛するもの、それはスーフィーである。 *・゜゚・*:.。..。.:*・*:゚・*:.。. .。.:*・゜゚・**・゜゚・*:.。..。.:*・*:゚・*:.。 今や、探求者は、霊的な体験のわかりにくさを垣間見ている。 もし、彼が、創造的な活動家ならば、 彼は時折不意にインスピレーションが心に浮かんでくるような段階に入っている。 もし、恍惚的体験への傾向がある人ならば、 意味に満ち、喜びに溢れた完全感が、間欠的に起こり、 またそれを自分では制御できないことに、自ら気づくだろう。 秘密は自己防衛するのである。 つまり、「あなたの想いのままに霊性に注意を集中しなさい。 もし、あなたがそれに値しない者ならば、、霊性はあなたを避けるでしょう。 それについて書きなさい。それを自慢しなさい。それについて注釈しなさい。 そうすれば霊性は、あなたに利益をもたらすことを拒絶するでしょう。 それはたちまち消えてなくなるでしょう。 しかし、もし霊性があなたの集中力に眼を止めるならば、 それは、よく馴れた鳥のように、あなたの手元にやってくるかもしれません。 孔雀と同じように、それは価値のない場所には止まろうとはしないものです。」 こうした発展段階を経て始めて、スーフィーは道についての何がしかを他者に向かって伝達できるようになる。もし、それ以前に行おうとすれば、「それはたちまち消えてなくなる」だろう。 ここでもまた極端なものの間の絶妙なバランスは、必要不可欠である。 さもないと、すべての努力は、水泡に帰してしまうかもしれない。 あなたの心というネットは、極めて傷つきやすい、とルーミーは言う。 それは、その獲物を上手に捕らえるように調整されていなければならない。 もし、不幸があれば、そのネットは破れる。 もし、ネットが破れていれば、それは役に立たないであろう。 あまりに大きな愛は、激しい対立と同じように、ネットを傷つけてしまう。 「そのどちらも行ってはならない」 ルーミーは言う。 「もし、ある人が、隅々まで智恵に満たされていて、無知なところが全くないならば、 彼はそれによって破壊されてしまうだろう。 したがって無知は、賞賛に値する。 というのもそれは、存続を意味しているからである。 夜と昼が互いに補完し合っているように、この交替という意味で、 無知は智恵の協力者である。」 *The Sufis 著 イドリスシャー より一部を抜粋 *・゜゚・*:.。..。.:*・*:゚・*:.。. .。.:*・゜゚・**・゜゚・*:.。..。.:*・*:゚・*:.。 すべての二元的対立は、それによって得られうる恩恵のためにある。 対立するものは、同時に補完するものであって、敵ではないのであろう。 スーフィー的に言うのなら、それはすべて我が内に内包されるものである、と。 ただ一度でも、なにかに魅せられ没頭したことがあるなら、 あなたはスーフィーである。 ただ一度でも、だれかを深く愛したことがあるならば、 あなたはスーフィーである。 しかし、スーフィーがスーフィーたるためには、研ぎ澄まされた修練の賜ものである、 知覚の扉を叩かなければならない。 知覚の扉は研ぎ澄まされ、徐々に神秘の階梯を進む。 その時、観るものは観られるものであり、 観られるものは観るものだと知るだろう。 ああ、そして朝がやってくる。 その朝は、いままでのどんな朝とも違う、 まったく新しい朝だ。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
Apr 17, 2006 05:51:27 AM
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