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カテゴリ:日々のことがら
私の父はほぼ、単身赴任の様な形で仕事をしています。
何日かに一回、品物を運んだり、製品を作ったりする為にこちらに戻ってくるのですが、外食を一切しないので、100%お弁当を持たせます。 勿論、ごくたまにお客様との会食やなにかはありますが、例えば出張の時などほっておくと妙な時間にラーメンを食べたり、もしくは仕事を優先させて何も食べなかったりしてしまうので、そういう時もお弁当を持たせます。 ですから、お弁当率が100%に近いのです。 朝は、朝仕様のお弁当、サラダ、ハム類、卵、果物やチーズなどを組み合わせてひとつのタッパーに詰めます。パンと牛乳の用意位は自分でして頂きます(笑)。 昼と夜は、昼と夜仕様、昼は特に気ぜわしいので、暖めなくても食べられるもの、食べるのに手間取らないものを。夜はたまにおでんや粕汁などを加えた展開で作ります。大体、野菜や海藻類のおかずひとつ、青物の茹でたものひとつ、たんぱく質ひとつ、という配分でこれもそれぞれタッパーに「○日昼」「×日夜」と詰めます。 ご飯も一食づつタッパーに詰めます。味噌汁も一食づつ詰めておきます。父は粕汁が大好きです。この間二回分を大きなひとつのタッパーに入れそれを○日の夜と×日の夜の、「二回分」と書いていたのですが、○日の昼と夜に食べたというので、母から嫌という程叱られていました。それで粕汁なども一回分づつ、タッパーに詰める様になりました。 とにかく、食べる事に対して面倒くさがりで、自分では何も出来ません。柿の皮さえ剥くのが嫌な位なので、出来る限り手間の掛からない様に、小分けにして(量を量ったりするのさえ嫌なので)蓋に貼り付けてある紙に従って食べればいい様に作ります。 それで、お弁当を作る時は「弁当」モードにならないと作れません。夕食と平行して作るので、「弁当の日」はちょっと辛いです。大体、次の弁当はこれと、あれとあれ、という「弁当ボード」みたいなものがいつも脳の片隅にあって、一週間の大まかな流れを把握している様に、また急に帰ってきてもある程度の対応が出来て、速やかに弁当が持たせられる様に、冷凍の食材の保存と把握にも努めています。 父は、そんな事で、あまり食べる事に関心がないので、お弁当の出来不出来には拘泥しません。ですからいくら心を砕いても、何か目覚しいお言葉がある訳でもないのですが、そうであるからこそ手が抜けないと私は思っています。きちんと食べてもらい、健康を保つ事が一番で、それが何よりの成果だと思うのです。 とはいえ、左手一本ではちょっと辛い作業で、自分の体が痛い時にはやはり、「ううっ。」と思います。 それでも、何故か卵を焼いたり、ゆで卵の殻を剥く時に、なんというか、「幸せな」気持ちになるのです。 鮭が上手く焼けてもあまり、こういう嬉しさは感じませんが、どうしてかオムレツを焼いている時や、卵の殻を剥いている時、うれしくやさしい気持ちを感じます。 水筒の内蓋をもう一度、ぎゅっと締めこむ時も、なにかまろやかな気持ちです。その気持ちは、脳から出てきているものではなく、胸の奥と手が繋がって結んでいる心もちの様な気がします。 そして、それはそれでいいのだと、なんとなく思うのです。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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