国電乗客暴動事件 1973年
1973年(昭和48)4月24日、国鉄労働組合の順法闘争に反抗した乗客が首都圏の国鉄駅で同時多発的に起こした集団暴動事件である。4月24日、18時30分頃、大宮駅で利用客2000人が騒ぎを起こしたのがきっかけとされる。青森行急行「津軽1号」が20時15分(定刻より40分遅れ)で出発。宇都宮駅まで普通列車の扱いになったため超満員。赤羽駅にに到着したものの、超満員で乗車することが出来ず、怒った乗客は列車を取り囲んだため、機関士は職務放棄をして逃げ出す。ちょうどこの頃、京浜東北線の電車も赤羽駅付近で信号機故障により止まる。乗車していた、乗客が線路を歩き始めた。赤羽駅には、3000人もの人であふれ、停車中の津軽1号のガラスを割ったり、駅長室に入り大暴動化する。21時30分頃には、発炎筒が燃やされ、22時30分頃には男が運転台に放火。そのため他の駅でも暴動が起こる。ここでその時の事件の概要が伺える。この時代の集団的事件やゲリラ暴動が多発した時代である。今の時代は、子ども虐待等個人的な感覚で殺傷事件が起こる。命の尊さを改めて考えなおしたい。こんな時代もあったという事を受け継がせてほしい。