カテゴリ:読みました^^*☆
● 『 嗤う伊右衛門 』 路線第3弾。 文章、文体、読点の位置、漢字の選択はもとより、組版され、 文庫落ちするときには、再び行内文字数から、改行箇所までチェックされ、 ご自身で組版されるという、一字一句までこだわりぃの京極さんを大好きな私。 『 嗤う伊右衛門 』には、完全にハートを射抜かれ、心底凄い、と思わされ、 私の 手放せない大切な本の一冊である。 今回は、その怪談シリーズの第3弾。 あの 殿様秘蔵の10枚の揃皿を1枚割ってしまい、手打ちにされたため、 夜な夜な投げ込まれた井戸から 幽霊として出てきては 皿を1枚1枚数え、9枚目で、後1枚が無いと泣き崩れる、 あの有名なお菊さんの 『 番町皿屋敷 』 が舞台である。 だが、タイトルは『 数えずの井戸 』。 数えない。 それは いったぃ何故か。 そして、帯には 『 数えるから、足りなくなる 』。 『 数えずの井戸 』 京極夏彦 / 中央公論新社 ISBN 978-4-12-004090-0 登場人物ひとりひとりが それぞれに何処かしら欠落しており、 或いは 囚われており。 この 欠落していること。 ( 欠けているから ) 囚われていること。 そのことが、そのひとをそのひとたらしめており。 それぞれの核であるそれらの部分から、静かに静かに壊れて行く。 ひとりひとりの登場人物を 対象化して読み進めながら、 んぢゃ、私は? と 思ってしまう。 思わされてしまう。 ひとは皆、何処かしら欠落し、 何処かしら壊れている、壊れかけているのではないか、と。 壊れていく登場人物に、 私自身が 立っている( と思っている )足元が こころもとなく思え始め、空ろな怖さが忍び寄って来る。 例によって、超分厚い大作なのであるが、その厚さを感じさせない。 勿体なく感じられるほどあっという間に読了し、 生じた 空ろの穴を抱えつつ、気になった『 序 』 を再熟読。 したらば、この『 序 』 で述べられていた お菊物語の伝承形全てが 本編でクリアされていることに気付き、改めて京極氏の凄さに唸る。 怪談シリーズ第1作の『 嗤う伊右衛門 』に出逢った程の衝撃はないものの やはりとても大切な1冊になりそう。 ただ、唯一残念至極なのは、本の装幀に関しての「 汚れ 」 である。 こだわりぃの京極氏のチェックが当然入っているものと思われるが、 本のカバーでは、暝い『 井戸 』と雲に半ば隠れた『 月 』。 カバーを外せば、井戸の底に映る『 月 』、雲から出た煌煌と輝く『 月 』。 そして、扉絵、各章の表紙に描かれた月と井戸の「 明暗 」が 混ざり合って行く。 あたかも、月が満月から新月に向かい、 喪って行く月光に反比例し、魍魎の闇がやって来るかのやうに。 それがまた、クライマックスに向け、どきどきの趣向なのだけれど、 印刷会社さんの製本時のミスのようで、 終盤『 数えずの空 』の表紙(p.693)、 ぃょぃょスミ100%まで後1歩という、濃い「 黒 」の部分に、 製版担当者さん?の指紋が。。。(涙・画像参照)。 そして、その時のインクと思われる指紋が 本文中の同じ位置に 何ページにも渡って付着しており、 必然的にそれに気を取られてしまい、がっかり。 だもんで、最終の『 皿数え 』の頁に施された 衝撃の趣向に どっぷりとハマれず仕舞いに終わってしまう。 ヽ(`Д´)ノ この痛恨のミスは、製本時のミスで、私だけなのだろうか。 それとも製版時に ミスがフィルムに焼き付き、 この本全部の仕上がりがそうなのか。 どちらにしろ、装幀の威力半減で、 京極氏がお知りになったら、 不本意さに激怒されるのではないかと思う。 これが完璧であったなら、と 本当に無念! 私も たいがいが こだわりぃなので、 この装幀そのものを台無しにしてしまう、この「 汚れ 」は、 不良製本、として、染みひとつない 完璧本に交換していただきたい程。 文庫版なら黙って我慢もするが、 2000円もするハードカバー本なのだから、 出版社に連絡してみようかとも思ったり。 ** こんなところが 私の " 欠落 " なのだらふ。 ぐ。 もしかして、それを 試されてるのか?? お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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