日々研鑽 40
「逆挑戦」西日本拳法選手権も優勝という最高の結果に終わり都道府県の各連盟からの大会出場のオファーが後を絶たずきましたが、ついに協会本部から東京で開催される全日本選手権の出場権戴きました。当時、内装業で多忙をきわめていた私は、大阪を1日も離れることはできず、出場は辞退しましたがこの春から謹慎も解けた、新拳法団体の全日本大会には出場することになりました。体重で階級を分けず、段位ごとでクラスを設けていた新拳法の当時3段の部に出場することになり硬式空手全日本チャンピオンも参戦する3段の部は大会の超目玉のクラスでもありました。そんな時、先の西日本大会主催の青竜会の最高師範よりワンマッチで試合をしようと打診がありましたがある情報筋から、最高師範が遺恨がある竜武館に優勝をさらわれた腹いせに、私を潰すと息巻いてるらしいのです。この最高師範、40代にも係わらず、筋肉隆々で現在も日本拳法の普及活動で海外で試合をしてる現役らしいのです。また仕事は海外の有名な映画にも出演する俳優でもありました。そんな最高師範の挑戦も当時の私は受けて立とうと思いましたが竜武館館長の仲裁で実現しませんでした。元の最高師範の師匠でもある館長の反対があっては中止せざるをえませんでした。詳しくは書けませんが、当時館長の地位や影響力は絶対でした。そんな青竜会と私との因縁も、青竜会本部長と私が親しくなり後年、私が新拳法団体を脱退する際に多大なるお世話になりました。そして、全日本硬式空手チャンピオンと激突する第8回新拳法全日本選手権が開催されたのでした。