カテゴリ:読書
今になってこの本を読んだ。
なぜ今かといえば、この本で紹介されていたから。 それは「マノン・レスコー」を読んで「椿姫」を読むのと似ている。 爆撃を逃れるため、ロンドンから田舎に疎開した四きょうだい。 大きな屋敷にあった衣装ダンスからナルニア国に行く。 そこは白い魔女によって永遠の冬に閉ざされていた。 春どころかクリスマスさえ来ない。 彼ら4人こそ、予言にあった王たち。 サンタからもらった剣や弓で戦う四人。 この物語の背景には、キリスト教的世界観がある。 著者C.S.ルイスの経歴を見ても、そのことは明らか。 C・S・ルイス(Wikipedia) ライオンの姿をしている王アスラン。 彼こそは他人の罪を背負って死ぬキリストそのもの。 キリストと同じく復活する。 当初、魔女の言いなりになろうとするエドマンド。 さしずめ彼は罪深き人間を象徴している。 犠牲的精神は洋の東西を問わず存在。 映画「アルマゲドン」のように、多くの人に理解されている。 三浦綾子の「塩狩峠」でもそうだった。 「塩狩峠」の主人公、永野信夫とアスラン。 両者には同じ精神が宿っている。 ある意味キリスト教を嫌っている私にも、そのくらいは理解できる。 キリスト教を背景としていながら、この作品は説教じみていない。 そこが日本でも受け入れられた、大きな理由だろう。 翻訳の瀬田貞二氏について、一部では批判もあるはず。 何しろ言葉が古い。 だが、ロンドンにドイツの爆撃があった時代の話。 しかもファンタジー小説なので、かえってこの訳が合っている。 古いものを何でも新しくするということが正しいとは限らない。 新訳があるのは当然だが、瀬田訳版も残すべき。 このシリーズ、全7巻ある。 すぐに続編を読むかといえば、そうならない。 正直私にとってファンタジー小説は好みではないから。 *********************** 関連記事 598「ナルニア国物語 ライオンと魔女」C.S.ルイス/瀬田貞二〈図〉 この作品について書かれた記事。 以下の疑問が目を引いた。 ちょっぴり疑問なんですが、蘇ることがわかっているのにアスランが悲しくてさびしかったのは何故なのでしょう? (太字部分、上の記事から引用) 私も読んでいて同じ疑問を感じた。 だが、自分なりの解釈で以下のように答を出した。 もし、蘇ることを知っていたとして。 通常は一度しかない別れを二回経験するということになる。 アスランが勇者であっても、それは同じこと。 もうひとつの答。 それは上に書いたアスランとキリストの共通点。 キリストは他人の罪を背負って死ぬ際、やはり悲しくて寂しかっただろう。 アスランもそれは同じではないか。 この疑問、素朴だけど背景となる世界を理解するために欠かせない。 根源的なもの。 まじめに考えると時間がいくらあっても足りないに違いない。 今後、思いもよらない答が見つかるかもしれない。 *********************** ※トラックバックは管理人が承認した後に表示されます。 バナーにクリック願います。 ***トラックバックはテーマに関係するもののみどうぞ。 その場合リンクは必要とはしません。 意見があればメッセージでどうぞ。 ただし荒らしと挨拶できない人はお断りです。 今のところメッセージは全て読んでいます。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2011.02.18 17:53:39
[読書] カテゴリの最新記事
|
|