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カテゴリ:アトピー
昨晩は私の部屋から花火を見ました。
壁をぶち抜いたので窓も2倍になって、これまでより見やすくなり、明かりをつけず家族でしばし楽しみました。 私は「こんなん全然チッチャイよ。そりゃもうね、すんごかったんだから~」と去年特等席(室)で見た大パノラマの自慢をこきまくりました。 去年の今頃入ってた病室は丘陵地に建つ病院の7階で、ちょうどこの花火が大きな窓いっぱいの大迫力で見ることが出来ました。 点滴で繋がれていたので看護師さんが部屋の明かりを消してくれて、その花火を独り占めしました。 廊下からは、こどもたちの「うっわぁ~」「きゃぁ~」「おお~」と毎回その花火にふさわしい大歓声。 これからは花火を見るたびに、あの花火のことを思い出すでしょう。 今年は、実際にこの花火を見るまでは、 「もうあんなスゴイの見ちゃったら、家でわざわざからだを斜めにして見るチッチャイのなんか、かすんじゃうよ~」と思っていました。 でも、これまでと同じように家でごはんを食べて、「あ、そうそう花火花火」とか言って、ふと窓から覗いて遠くから見える小さい花火は、なんかよかったです。ホッとしました。 もうあっちに行って、あんな大きな花火はゼッタイ見ない。 あの歓声を上げていたこどもたちの中に、今年もあの花火を見ている子がいるのだろうか。 この一年、いろいろありました。 これまで十数年、全然よくなる気配のなかった体調がぐっと動き出しました。 これまで、いつか出来るようになると、思わないように努力していたことが出来るようになったということが、いくつもあります。 時間は取り戻せないけど、少しずつ自分のペースで努力していこうと思います。 その反面、この一年で、いろいろつらい思いも味わいました。 こんな思いをするために、あんなつらい目にあったのではない、とか、 こんなんなら、クスリをこんなに使ってまでして、よくなった甲斐がない、と。 そして何より、これまでの年月は何だったのか。 仕事を始める準備期間としてクスリを減らして最終的に切っていったときの苦しさ、体調を崩して仕事を続けられなくなったときの罪悪感、挫折感。 これまで十数年、医師はクスリを切る(人生の)タイミングを誤ったのではないかとか、悪いことでも事前に予想されるリスクは患者に話しておくべきではなかったのか(部署を替えてもらうなど対応のしようがあった)と思ったことはあったけど、 すでにアトピーが悪くからだがクスリを必要としている状態のときに減らして、最終的にゼロにしてから内勤の事務半分&外半分の仕事を始めたのでは、ドダイかだらが持つわけがない、頑張るもなにもないのに、あんなに自分をメチャクチャにしてしまった。 あのとき、今の病院に初めて行った十数年前に、減らす方向でなくからだが必要とする量をしっかり塗っていれば、あんなに苦しむこともなく、こんなことにもなっていなかったのでは。 ただひとりの医師の過ちというのではなく、あの時代は医療全体がステロイドに対してこんな考え方だったけど。 この1年クスリと付き合いながら、これまでの十数年をふりかえるたび、何年も前に忘れられるようになっていた「もしこうならなかったら…」ということが再び頭に浮かんできて、よくなってきているのに、やりきれない気持ちになるときがあります。 いまだに、自分の人生を歩んでいるような気がしません。 夏は、やっぱり今年もニガテです。 去年の今頃、毎日ガーゼについた肉をミチミチ剥ぎ取ってた右胸が汗のせいか痛いです。8月のカレンダーを毎日睨みつけてます! ちなみに、あのときの研修医のセンセはもう病院にいません。 最近気づいたんですが、もしかして病院長の娘、だったのかも。 えらい人とやいやい言い合ったのかも。でも看護師さんも、わざわざセンセを自宅から呼び出して話しつけてくれたりして、あれは、すごいことだったのかも。。 ま、知らぬがホットケ。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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