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カテゴリ:読書
昔、ダシール・ハメット&ポップコーン♪というフレーズが出てくる歌がありました。
そのときは、ダシール・ハメットって何? え、昔の小説家? なんか、気取ってるなあと思っていたような。 本屋でこの名前を見かけるたびに、この歌が頭ん中を流れ、いつか読みたいと思っていました。 で、「マルタの鷹」(ダシール・ハメット)を読みました。 この主人公サム・スペードは、映画でハンフリー・ボガートが演じた、らしい。そう聞いても、幸い視覚的イメージは全然湧きません。 ミステリ小説の後ろの、他の本の宣伝のページに絶対出てくる人の一人だから、難しい感じなのかと、ちょっと近寄りがたい気がしていたけど、これはほんとにポップコーン片手にって感じ。いや、ポップコーンはちょっと胃にもたれるから、あられとかで。 チャンドラーのように教訓じみたところがなくて、よくいえば、より娯楽に徹しています。 読む者を楽しませる要素を盛り込んだ、生活のための大衆娯楽小説だと思います。 格好をつけるための小道具は紙巻煙草だし、女性の描き方といい、時代を感じさせます。 早い話が、高価な「マルタの鷹」を強欲な人たちが血相を変えて手に入れようとする、というお話。 といっても、宝探し的なお話としては全然面白くない。滑稽なほどのだまし合い、駆け引き、はったりを繰り返す展開を読んでいると、だいたいオチはこうなるだろうなと読めてきます。 むしろ、主人公スペードは、今この時点で何を考えているのか、何をたくらんでいるのかとか、ブリジッドという人物は、天使なのか悪魔なのか。そのあたりを、登場人物が互いに相手を探ったり、だまし合いをしているところを読みながら想像をめぐらすのが、面白かったです。 まだ、この1作だけでは、この作者がどういうものを書く人なのか、よく分かりませんが、これを読んだ限りでは、主人公は高潔すぎず、現実味のある描き方になっているように思いました。 例えば、ロバート・B・パーカーのスペンサーだったら間違いなく良き人で、意志が強く摂生のかたまりみたいな人物。サラ・パレツキーのヴィクは常に誘惑とたたかっていて度々敗北するけど、権力や巨大組織の悪が我慢ならない。ディック・フランシスの描く主人公は、どれも優秀で正しくて完璧。 それに対して、このスペードは決して高潔とはいえず、理想に燃えてはいません。 作者自身、実際にこういう稼業もしていたから、あまりにヒーロー然とした人物は書けなかったという面もあるのかなとも思います。 後ろの解説を読むと、作者本人の人生の諸々の苦悩や迷いが、出ているのかなとも思いました。 全体を通して、ほぼ気楽に娯楽として楽しめるのですが、ただ一カ所、難しい部分が出てきます。 それは、スペードがブリジッドに語る、フリットクラフトという人物についてのお話。 小説全体の展開には全く必要ない部分に思われ、これはいったいどういう意味なんだろう、何が言いたいんだろうと、最後まで引っ掛かりました。 フリットクラフトについてのお話自体は、面倒なので書きませんが、要は、フリットクラフトとは「月と六ペンス」のストリックランドのように、人生半ばで家族を裏切り蒸発した男性で、ただ「月と六ペンス」とは違い、結局第二の人生でも、初めの家族と変わらないような家族をつくって、同じような人生を送るということ。 思いもしない出来事が起こったことをきっかけに、ものの見方が変わったり、世の中や人生に対する考え方が変わったりすることは、誰にでもあることで、実際にこういう選択をするかは別として、説明としてはよく分かります。 特に、強く印象に残ったのは、次の部分です。 「その出来事までのフリットクラフトは、外からの圧迫によってではなく、周囲に同調することで最も安らぎが得られるタイプの人間だったという単純な理由から、良き市民であり、良き父であり、良き夫であるような男だった。」 これは、うちの父親のことのように、私には思えました。 いい人でいられるのも、運次第なのかもしれない。 でも、その真価が問われるのは、何か事が起こったとき。 そんなことを、改めて思いました。 それにしても、この挿話は、この小説の中でどういう意味を持っているのか、さっぱり分かりません。 作者の実生活での、迷いや苦悩が表れているようにも思えます。主人公に、そういう自分の中で大きな位置を占めているものを、世の中に向かって語らせたかったのかな、とか。 でも、基本的にあんまり深読みしすぎるより、これは手軽な娯楽小説として楽しむのがよい、という気がします。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2013.04.05 17:46:45
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