|
カテゴリ:ハンドメイド
ベージュのサマーヤーンのプルオーバーが完成しました。
こないだの藍色の色違いです。 首周りと肩幅を微調整して、肩のボタンなしで脱ぎ着ができるようにしました。 これで、丈・幅・開き加減・肩幅全てちょうどいい段数と目数が分かりました。 もう毛糸ものを編み始めてもいい時期ですが、せっかく編み図ができたことだし、まだこの糸が残っているので、しばらくこのプルオーバーをしつこく編むつもりです。 こないだの藍色のプルオーバーは、今年は着ないで取っておくつもりでしたが、結局着てしまっています。 中に着る長袖シャツの、涼しい素材のものが世の中にはほとんど売っていなくて、手持ちのものが少ないので、そのシャツの色に合わせて上のニットを選ぶ必要があって。 実際に着てみると、脱ぎ着しやすくするために付けた肩のボタンを、通常より高い位置に付けたことにより、着てからボタンを留めるのがすごくやりづらいことが分かりました。 また、実際に使うボタンは内側の2個までで、少し開きが広くなるだけで首頭が入ることも分かったので、目数を少し調整すれば、開きをだらしないほど大きくしなくてもいけそうだと気づきました。 その首周りのふち編みをガーターでしていますが、この目の拾い加減と、最後の伏せ止めの力加減も、これまでにいろいろやってきて、コツがつかめたように思います。 お盆に祖父母のお墓参りに行ってきました。 私はどうも宗教観念が欠落していて、仏壇やお墓にお参りする意味がちっとも分からないのですが。 かといって、私はパスと言ってしまうのは、母に悪いという気持ちだけは持っているのです。 いくら考えても、どうもそこんところが分かんないなと思いつつも、でも実際に初盆に行ったら、自分の中で何か納得できるものがあるかもしれないと思って行ったのですが、結局今までの自分の気持ちが強くなるだけでした。 祖父母が亡くなるまでは、会うたびに弱っていく姿を見ていても、いなくなってしまうことが信じられない気持ちでしたが、実際に亡くなると、喪失感というものはありませんでした。 悲しいとか寂しいという気持ちになれるのは、それだけ二人がよくしてくれたからで、目いっぱい、おじいさん・おばあさんを味わったなあ、自分にとっては満点のおじいさん・おばあさんだったなあという満ち足りた気持ちがあります。 お葬式の後、霊がどうのというストーリーは幻想で、実際には物質に還ったのだと自分に言い聞かせてしまったので、叔母が墓石に「暑いやろ」と話しかけながら水をかけているのを見ても、まだ遺灰は仏壇にあったぞなんて思ってしまって、どうもピンときません。 思うに、これは不慮の事故などではなく、十分天寿を全うしたというべきときまで生きてくれたからではないかと。 ギリギリまで頑張ってくれた姿を1年じっくり見てきたから、こういう気持ちになれるのかもしれないと思っています。 亡くなっても、自分の中に二人は同じようにあって、墓石や仏壇といったモノや、霊が帰ってくるというような幻想を必要としない気持ちでいられるのは、ものすごく幸せなことだなと思います。 父の実家も近いので、そちらにもお墓参りに行きました。 祖父は私が物心つく前に亡くなっていましたが、祖母は十数年前に亡くなり、私はその少し前にお見舞いに行ったきりで、体調が悪くお葬式にも行けず、今回初めて墓石に祖母の名前が刻まれているのを見て、自分の中でストンと納得できた気持ちになりました。 そういうものなのかな。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2013.08.27 09:31:59
コメント(0) | コメントを書く
[ハンドメイド] カテゴリの最新記事
|