『センセイの鞄』(川上弘美)を読んで
「センセイ」と聞いて、まず何を思い浮かべるか。私は、漠然と「苦手~」とまず思います。これまでの学校での担任の教師、中学の部活の顧問、病院のイシャ・・。みんな苦手。自分のことを「先生」と認識している人種が、そもそも苦手で、これは長年教師をしてきた祖父の影響が大きいかもしれません。祖父は、家族中、親戚中から、鬱陶しがられていますが、90歳になろうというのに、先日も自転車に乗って国道を走り、始まったばかりの確定申告を済ませ、帰りに病院へ行って健康診断を受けて、「ニジュウマル」のお墨付きをもらってきた、と自慢しに、わざわざ電話してくる人です。こういう鬱陶しい「先生気質」に対して、ことさら反抗したりすることはないけども、心が愉快でなくなることが多いので、出来ればあんまり関わりたくない。。な~んて思ってしまう、悪い孫ですが、こういう気持ちって、世の中の多くの人が持っているものではないかと思います。この、『センセイの鞄』のセンセイも、一般にはそのようにちょっと苦手~、と思われるような存在として描かれています。そんな初老の男性と、30代の女性。の、恋愛模様。これが、ほんわかとして、二人を応援したくなる気持ちで読むことが出来ました。語り手は、ツキコという女性のほうで、この人の感覚に、私は共感を覚えるところがありました。この人は今の時代を積極的に謳歌するタイプではありません。このツキコは極端かもしれないけど、流行を常に気にしてオシャレにお金を掛けたり、あちこち遊びに出かけたりする人ばかりではないのかもなあ、と思いました。年齢にふさわしい言動ができる大人。そういう世間一般に言う好もしい人を「時間が均等に流れ、からだも心も均等に成長した」と表現。それに対して、ツキコは自分のことを、子供の頃はずい分と大人だったけれども、中学、高校と時間が進むにつれ大人でなくなり、さらに時間が経つと、すっかり子供じみてしまった、と表現しています。この箇所は、まるで私のことみたい、と思いました。面白いなあと思ったのは、ひとつは最初のほうで、こんなエピソードが語られているところ。以前同僚に「接吻」されそうになったとき。「今日はお日柄も悪いし」「おひがら?」「友引ですから。明日は赤口、庚寅ですし」「あ?」・・・これで、グッと話に引き込まれてしまいました。もうひとつは、キノコ狩りに出かけて。センセイのかつての妻がワライダケを有毒と知りながら食べてしまったときの顛末。これを聞いたあと、出かけた一同で、これも毒のあるベニテングダケの干したものを食べる。ツキコさんもお食べなさいというので、語り手も最後に食べる。ので、なんだかわけがわかんないけども、みんなで愉快に笑いあう・・。クスリで幸せにラリる時はかくあるべし、と思いました。決して語りすぎず、それだけに読んだ後、余韻の残るいい小説でした。川上弘美は初めて読みましたが、ほかのものも読んでみたくなりました。_________________________________________________________________________________________昨日の晩ごはん・フライ(アジ、れんこん)、キャベツ千切り、トマト100円のアジの半身でボリュームたっぷり・煮物(れんこん、こんにゃく、高野豆腐、タイの白子) ・ほうれん草の胡麻和え