再起
先週のアエラを立ち読みしたら、現代人はネットに頼る癖がついてアホになっているというようなことが書いてありました。記者自身も、手紙の書き出しに「猛暑の折」と書こうとして「暑」の字が浮かばなかったとか。ある若者は、人のブログを読んで影響を受け、フェイスブックやツイッターをはしごして、勧められるままにアマゾンで本を選んで読んでいる自分に気づいて怖くなり、いつも持ち歩いているスマホだかノートパソコンだかを家に置いて、1か月国内を旅して回ったが、しばらくの間、自分のツイッターが気になってネットにつながれるスポットに行きたい要求をこらえるのが大変だったとか。一方で、そういう変化は退化ではなく、むしろ進化だという人もいる。ネットから瞬時に膨大な情報を得られるようになったのだから、これに関しては覚えなくてよいというものは、覚えずともよい。ネットは第二の脳だとか、外部にある脳だとか、そんなことを言ってたっけか、そこまでは書いてなかったかな、私の脳もアホ化が著しくあやふやですが。私が思うに、記憶しているかどうかの問題ではなくて、思考が浅くなっているのでは。それと、短絡的というか、すぐに劇的なものを期待したり、それほど大きな問題ではないのに、あっさり一線を超える傾向があるような。最近の政治経済の世界は、私にはどうもSFちっくに見えて理解できないなあ。*「再起 」(ディック・フランシス)を読みました。競馬シリーズの中の、シッド・ハレーのシリーズの4作目ですが、3作目の「敵手」を私はまだ読んでいません。ずっと翻訳してきた菊池光氏が亡くなり、作者自身も年を取って、6年ぶりに書かれたというこの作品は、ああ、時代が変わったなと思わされます。何といっても、探偵がインターネット検索をしまくって、これがないときによくやっていたものだというようなことを言うのだから。ITを駆使した場面が出てくるものはいくらでもあるけど、こういうものをこの人が書いていることに、驚きました。もちろん、自宅のパソコンですぐに得られる情報を、わざわざ官庁に出向いて閲覧したり、歩き回って聞き回る場面を書かれてもばかばかしく感じるだけだけど、読み終わったときに思い返してみると、人に会って聞き出したり、危ない橋を渡って証拠をカメラに収めたりという場面に比べると、印象が薄くなるように思いました。でも、これは86歳になって書かれたものだということを考えると、息子が協力したとはいえ、新しいシステムに対する深い理解に驚きました。単に、主人公が携帯電話やパソコンやネットを使いこなしているだけでなく、ネットが社会に浸透することによって、かつてはせいぜい競馬場で現金を賭けていた程度だった大衆の賭博が、全く違った性質を帯びるようになったことによる危険性というものを扱っていることは、この人らしいと思いました。全体的に、これまで読んできたものよりサービス精神が旺盛で、ジェフリー・ディーヴァーのものを読んでいるみたいだと思うところがいくつもありました。時代が変わったということもあるし、作者が年を取って丸くなったということもあるのかもしれないし、息子さんの影響もあるのかも。読みやすいし、面白いのだけど、その変化にちょっと寂しさも感じてしまいます。でも、シッド・ハレーの人生がこのように、いい形になっていくという話の展開は、これまでの苦闘を読んできたものにとってうれしいです。まあ、とにかく、この人の話は、初めの印象でいい人はたいていいい人だし、性悪な人はだいたい悪者だから、いい人に肩入れして、悪い人を目の敵にして読んでいれば、最後に気分よく読み終えることができます。「敵手」は見つけたら読みたいですが、この作品以後のものは、読まないと思います。