生きているうちに筋を通させよう
私など73歳ですが、最近、近親者の不幸が続いてます。
そうでなくても、8月15日は日本とアジアの諸国民に対して、戦争により死を招いた日本国民の端くれとして、多大な死者がなぜ生じさせたのか、そこには追悼の祈りをささげる日でもあるじゃないですか。
たまたまのこと、個人と日本の歴史が、この日々に重なったわけですが。
日本人の平均寿命は、女性88歳、男性82歳とのことです。
一寸先はわかりません。
蜂に刺されて、ないし畑での熱中症、畑に向かう途中の交通事故、等々で召されることもあります。
先代の世代の最後の方は、この9月1日が「49日」です。
私自身が、平均寿命からしたら、残りの生命は、あと10年をきりました。
今、バトンが、聖火が、私などが担わされる時となったということです。
そうであればこそ、あとに心残りがないように、言っといてやろうじゃないですか。
平和と民主主義、諸国民との信頼と交友。
これは、近代日本が鎖国をといた時からの理想であり、目標でした。
その基軸から逸脱したたびに、多くの、それこそ大変な犠牲と反省をなめさせられました。
これまで、しもじもは、お上にしたがってればことは円満にすすむ、と思っていた時もあるかもしれません。
しかし、いまは、そうはいきません。戦後の民主主義は自己判断と自己責任です。
いま私たちが国是としている平和・民主の憲法の精神ですが、それは「国民生活を犠牲にした軍備拡大」「軍事対抗で国を守る」などという政治路線と完全に対決しています。
それが近代の日本史が、根本的に提起している真実です。
この間はお盆の時でしたが、このお盆で、先に行った亡き人たちにたいして、
私など今を生きてられるのは、民主主義的な制度の下に今を生きていられるのは、そのためにさまざまな犠牲があったからこそのこと。「自然」とか「当たり前」なことではありません。
そうした尊い大変な犠牲にたいして、今を生きる者は、敬意を思わざるをえません。
そうであれば、その「あがない」ともいえましょうが、私などは断固として誓います。
戦後79年の努力を覆し、戦争を呼び込むことになる道は、絶対にNO。
「平和・民主・諸国民との友和」の道をすすみます。
それを捻じ曲げる輩とは、良識と理性にかけて、断固としてたたかいます。