マルクス「ヘーゲル弁証法批判」30全体像
マルクス『経済学哲学手稿』「ヘーゲル弁証法批判」の学習ですが、まとめに入ってます。
今回は、その全体像についての紹介です。
全体をつかむ上で、その論点を5つの点に区分してみました。個々にはいろいろ探るべき問題がありますから、途中で道に迷わずに、すすむための作業です。
『国民文庫』版(藤野渉訳)により、ページと文節を示しています。文節は通しで番号をつけました。どこの箇所が問題になっているのか、特定しやすくするためです。
一、マルクスの出発点
(P205 第1文節~)
マルクスの出発点となった状況です。ヘーゲル哲学が大きな影響を与えていたけど、だれもその方法について検討する人はなかった。フォイエルバッハだけが成果を加えていた。しかしその弁証法に対する批判は不十分だった。
1844年、マルクス26歳の時で、共同している人としての「フォイエルバッハ」論です。
1886年にはエンゲルスが、これをもとにして『フォイエルバッハ論』にまとめています。
二、マルクスはヘーゲル哲学を概観
(P211 第14文節~)
1、マルクスは、『精神現象学』、論理学、自然と精神の全体を視野にします。
ヘーゲル哲学の成果と課題を問題にするには、その視野が必要だということです。
2、結論としてマルクスは、ヘーゲル哲学、弁証法にある「二重の誤り」を問題提起しています。
これが、このあとで示すヘーゲル弁証法の検討から引き出される結果なんですね。
3、ヘーゲルの終極的成果が弁証法にあることを指摘しています。
ヘーゲルがはじめて意識化した弁証法は、偉大な成果だと評価してます。
これらは、マルクスとエンゲルス以外にはリアルに明らかに出来ていないこと、
それは、ほぼ、今日まで同様だと思います。
三、ヘーゲル哲学の問題点の検討
(P217 第20文節~)
1、マルクスのヘーゲル批判のテーマ。
「ヘーゲルの一面性と限界を、現象学の終章「絶対知」について詳しく述べよう。この章は、現象学の総括された精神、現象学と思弁的弁証法との関係をふくむとともに、また両者ならびに両者相互の関係についてのヘーゲルの意識をもふくんでいる」
2、ヘーゲルの『現象学』「絶対知」の主要な論点は「意識の対象性の克服」、8つの全面的な表現。
3、第2の「自己意識の外化が物性を措定する」についての検討。
4、第6の「それの他在そのもののなかでおのれのもとにある」についての検討。
四、ヘーゲル弁証法の肯定的な契機
(P231 第56文節~)
1、(a)外化したものを自分のものとする。
2、(b)第一に、形式的な抽象性がもつもの。
第二に、外化の止揚が、外化の確認になること。
第三に、この運動の担い手、主体は何なのか。理念が主体となり、人間はその現れ。転倒。
3、まとめると、あらゆる内容に当てはまる抽象的な真理としての論理学的カテゴリー。
絶対理念は、論理学が自然と精神から抽象された必然的な成果だけど、それだけでは無力だ。
五、自然について
(P238 第69文節~)
ヘーゲルの自然観に対する批判
以上が、マルクス「ヘーゲル弁証法批判」論文のおおよその構成です。
マルクスはこうした問題をとおして、ヘーゲル弁証法の転倒を正すことで、唯物弁証法を確立したわけです。
マルクスの生前には刊行されることなかった『経済学哲学手稿』です。しかし、マルクスはこうして、弁証法についての叙述をもっていた。
『メガ(マルクス・エンゲルス全集)』が、1932年に「経済学哲学手稿」をふくめて刊行されたこと。それが日本でも1960年代に翻訳されてからは、マルクス「弁証法のついて説明を刊行したい」との遺志ですが、それははされているわけです。
これから、その中身を具体的にさぐりたいと思います。