カテゴリ:学会
学会性疲労。
学会終わるとどうも体調がよろしくない。 ひどく悪いわけじゃないがよろしくない。 だるい。 学会後はたいていこうである。 で,しばらく使い物にならない。 理由はいくつか考えられる。 1.普段は昼過ぎにならないと起きないから。 2.学会では偉い先生とかと話すため社交的モードになっているから。 3.毎晩酒を飲むから。 4.慣れない人混みにいかねばならないから。 5.いつもより歩くから。 結論としては,いつもしていないことをしているから,ということになる。 学会体力がないのである。 回復のための対策としては, 1.寝る。 2.禁酒。 といったことぐらいしかない。 まあ,寝てばかりいるので,じょじょに体調が良くなってはいるのだが。 学会大好き!? さて,前から思っていたのだが,学会で出会う多くの人々は,ぼくが「学会大好き」なのではないかと誤解している節があるようだ。 もっとも身近な人は,そうではないことをよく知っているのだが,ぼくを「学会だけで」見かける人は,そのように思っているみたいだ。 まあ,「学会」という「場」で,「営業モード」になっているぼくしかみていないのだから,その誤解は必然でもあるのだが。 正直いってぼくは「待ちに待った学会だ!」などという感覚はまったくない。 かといって嫌いというわけでもないが,いわば仕事の一貫として行っている部分が大きい。 そもそも僕は特に呼ばれない限り,年に2,3回しか学会にいかない(2回はノルマにしている)。そして,1つの学会に行っても全日程会場に行くわけでもない。 つまり,僕は年に5日ぐらいしか学会というものに顔を出していない。 しかし,せっかく交通費と参加費を出すならば,1回あたりの学会では,できるだけ発表したり,企画したり,話題提供や指定討論を引き受けたりしようと思って頑張ることが多い(今回の学会はサボりぎみだったが)。 それゆえ,「その姿」だけみたひとは,ぼくが「学会大好き」と勘違いしてしまうのであろう。 別にいいのだが,「ほんとはそうじゃないんだけどな…」と思うこともなくもない。 もっとも,学会で友人達や親しくしている先生,そして新たに,開かれた態度をもっている清々しい先生に出会うのは愉しみにしている。 そのために行っているといっても良いかもしれない。 友達とかとみんなで話したりするのは好きである。 けど,いつも一緒でなくてもよい。 静かに本を読んでいるのは好きである。 けど,まったく誰とも話さない日が続くのは嫌だ。 うん,これと同じだな。 学会で新しい出会いがあるのは好きである。 けど,たまにでいい。 学会に行かず静かに本を読んでいるのは好きである。 けど,まったく学会に行かないのも寂しい気がする。 そんな感じである。 なんだか「乙女心」みたいだな。 でも,人間の心とは,本当のところは上記のような微妙な感覚の重ね合わせでしか表現できないのかもしれない。 今回の学会で,もっとも嬉しかったことは,質的心理学会のシンポジウムで構造構成主義を引用してくださり発表してくださった先生がいたことだ。 新潟大学医学部の教授,高木廣文氏である。 それは 「看護学における質的研究手法の教育方法:量的研究手法のように教育可能なものか?否か?」 というテーマのシンポジウム。 最初は他のシンポジウムに出るつもりだったのだが,抄録をパラパラみていたら,『構造構成主義とは何か』や『質的心理学研究』に掲載されている「質的研究論文執筆の一般技法」が引用されていて,驚いたのである。 なぜ驚いたかといえば,エピソード記述やグラウンデッドセオリーといった知見を生み出す方法に関心のある質的研究者には,原理的な思考によって根っこから考えていく構造構成主義はウケが悪いだろうし,まあ無視されて終わるだろうなとすっかり諦観していたからだ。 なので,ここまで大々的に引用してもらったならば,「これはいかねばなるまい」と予定を変更。 さて,その抄録は,構造構成主義のHPからダウンロードできるようにしていただいたので関心のある方はどうぞ。 http://www.geocities.jp/structural_constructivism/sc_event.htm そのシンポジウムでは,最後に会場からコメントさせていただいたのだが,その返事として「来てくれると思っていました。どんな方か一度見てみたいと思っていたのでお会いできて嬉しいです」とおっしゃってくださった。 研究者冥利に尽きる有り難いお言葉である。 で,肝心のシンポジウムの内容とそれに対するコメントはまた後日(ほんとか)。 後日談で,不覚にも学会後に気づいたのであるが,抄録を読んでいたら,高木先生は「質的研究におけるアブダクションを考える」というシンポジウムでも,『構造構成主義とは何か』を引用してくれていたのである。 それは「アナロジーに基づく一般化」の話。 これはこれまで事例研究などに突き付けられてきた「どこまで一般化できるんですか!」というたいへん厳しいつっこみを理論的に解消する,現存する唯一の理論的枠組みで,自分ではかなりの優れものだと思っているのだが,今のところ誰も凄いとは言ってくれなかった。 なので,最近は,池田清彦先生に倣って,その凄さが分からないほど凄いのだろうと勝手に思うことにしていた(笑)。 それゆえ,驚きはひとしおであり,高木先生との出会いが今回の学会の最大の成果(嬉しかったこと)だったように思う。 わかってくれるひとはわかってくれるんだなと改めて思えてよかった。 もっとも,僕は学会に限らず「外」に出ること自体それほど好きではない。 家でほそぼそと本を読んだり,研究室で論文や本を書いているのが,一番しっくりくる平穏な時間である。天気の良い日は芝生にねっころがって本を読むのも好きだ。 地面に沿っている姿勢がぼくの自然体なのである。 100歩譲って椅子に座っていたい。 少なくとも地面に垂直に立っている姿勢は自然体ではない。 学会シンポジウムの依頼電話 学会といえば,某学会の前日に突如1本の電話があった。 お茶の水女子大学の井原成男氏から,第95回小児精神神経学会のシンポジウムで話して欲しいという依頼の電話があったのである。 良さそうな感じの方だったので快諾させていただいた。 テーマは「発達心理学最前線が、心の臨床に寄与するもの」(仮題)だそうである。 で,ぼくは「初期発達における相互作用の研究」というお題。 『母子間の抱きの人間科学的研究』(北大路書房)を読んでくださったらしい。 井原先生の前の同僚であった無藤隆先生が,あういう内容↓の推薦文を書かれたことに衝撃を受けたといったことを述べておられた。 http://plaza.rakuten.co.jp/saijotakeo0725/5001 ひとえに,無藤先生のおかげである。 『構造構成主義とは何か』も読んでくださったみたいだった。 そして,佐伯胖先生が,指定討論ということだったので,この春に一緒にワークショップをやらせていただいたという話をちょっとだけした。 家がとても近いそうなので,近日中に会いましょうという話になって,電話終了。 来年度の話なので,近くなったらまた書こうかな。 でも,来年度って自分,どこで何やってるんだろう。 予測がつかない。 まあ,なるべくようになるだろう。 今自分にできることをやっていくのみである。 「いいことがあっても、悪いことがあっても、それはその場に置いて次に進め」(大敗後のトーリ監督談) (ちなみに明日から再び集中講義期間に入るので,しばらく留守にします) お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2005/10/01 02:03:42 AM
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