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西條剛央のブログ:構造構成主義

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西條剛央

西條剛央

2005/09/29
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カテゴリ:発達
今日は,妹がうちの近所の美容院に行きたいということで,姪のゆらちゃんを数時間預かることになった。

ゆらちゃんは,畏友と妹の子ということもあり,かわいくて仕方がない。

僕の最近の趣味は,ゆらちゃんに会いに行くことと言っても良いほどなので,願ってもない機会である。

最初は部屋で遊んでいたのだが,天気もよいので,近所にある航空公園までいくことにした。

ベビーカーもあったのだが,せっかくの機会だから,抱っこしていくことにした。

とても機嫌が良くおとなしくしている。

きっと,ゆらちゃんの目に映る世界は,新奇な驚きに満ちているのだろう。

そんな顔をしている。



航空公園には,大学時代に僕が所属していたテニスの同好会の練習しているコートがある。

それらしき学生達がいたので,ちょっと声をかけてみたら,やはり後輩だった。

何人か僕のことを知っている後輩もいたので話をする。

ゆらちゃんは,後輩達と話をしているうちに,寝てしまった。

コートの後ろにあるベンチに座って練習を見学させてもらう。




僕らがやっていた頃と,回りの木々や景色は何も変わっていない。

春になると桜が綺麗な公園である。

みんな一生懸命練習している。

メンバーはすっかり入れ替わって,誰もわからなくなってしまったけども,やっていることは変わらない。

かつては自分も,ここで,後輩達と同じように,一生懸命工夫し,練習していたのである。

幹事長になった頃(2年生の3月)の,4年生の追いコンのときの冊子に,「ゆく河の流れは絶えずして,しかももとの水にあらず」という方丈記の一節を引用して,同好会もそれと同じだと思うといったことを書いたことがある。

そして,自分たちも卒業までに,先輩達から引き継いだ大事なものを後輩に伝えて,卒業できたらよいと思うといったことを書いたと思う。

それを読んだ後輩の一人は,「これ自分で思い付いたんっすか?」と言ってきた。

その頃の僕には,いかにも似合わない文章だったのかもしれない。

でも,今でもやはり,そのように思う。



後輩達は,各練習の前に,各自が気をつけていることを,短く言って,近くのメンバーに注意してもらうようにしている。

それによって,自分の注意すべき点に対する意識を高めるとともに,お互い良きアドバイザーになれるようなシステムとなっているのだ。

この方法を考案し,実践したのは,10年ほど前に入学した僕らの代なのだ。

今や,それを知っている人は誰もいないだろう。

でも,自分達が一生懸命考えたことを,後輩達も引き継いでくれていることは,なんとなく嬉しい。

この同好会は,無批判に伝統をマネているだけのところでなく,状況に合わせて改善すべき点は,改善し,よりよい方法を考案し,それでも大事なものはしっかりと引き継ぐというメタ伝統を持っている。

それゆえ,その中で,淘汰にかからなかったということは,僕らの実行した方法は,それなりに意味のあること,機能的な方法だったといえるかもしれない。


当時は関心相関性などという言葉は知らなかったが,今の僕の言葉でいうならば,お互いの関心を共有した上で,建設的なアドバイスをする方法,ということになる。

アドバイスは,お互い思いつきレベルの勝手なことをいうと,あまり役に立たないことが多い。特に先輩が後輩にアドバイスすると,素直な後輩は全部取り入れようとして,いろいろな先輩がそれぞれ違う意見をいうため,混乱して,余計悪くなってしまうのである。

こうした事態を回避するために,各人の関心や目的を共有した上で,お互いにアドバイスしあうこの方法はよく機能するのである。




ゆらちゃんは目が覚めたようだ。

しばらく試合を見ている。

上手な子が何人かいる。

ゆらちゃんは,応援している姿などが,めずらしいらしくて,何やら目を見開いてみている。

応援している人は,拍手をしたり動きがあるので,飽きないのかもしれない。

僕と同じ景色をみているようでも,その目に映っているコトは全然違うものなのだろうな,と当たり前のことを思う。


休憩時間に,何人かに抱っこさせてみたところ,どうも男の子より女の子の方が抱っこがうまい。

男の子は,怖がって抱っこ出来ない子や,抱っこしてもなんだか危なっかしくて僕が手を離せない感じの子が多かった。

性差があるなんて思いもしなかったので,意外な発見だった。もちろん,それがどこまで一般化できるのかはわからないし,その理由もわからない。単純に,男の子の方が,赤ちゃんを抱っこする機会があまりないのかもしれない。


後輩の女の子達にゆらちゃんを預けて,後輩の一人と打ち合ってみる。

テニスをするのは何年ぶりだろう。最後にまともにテニスをしたのは,2001年だったと思うから,実に4年ぶりぐらいか。

不思議と,技術的には思ったよりは衰えていなかった。

しかし,体力は15分ともたず,喉は焼け付き,マラソン走った後のような血の味がした。

けど,久しぶりに運動して汗をかき,気分は良かった。


妹が家に戻ってきたとメールがきたので,後輩達にジュースを差し入れして,帰路につく。



ゆらちゃんを抱っこして歩いていると,小学校の頃,妹(ゆらちゃんのお母さん)を抱っこして近所を散歩していたのを思い出す。

僕が小学校の頃,7つ下の妹と,9つ下の妹が生まれた。

実家は自営業で,特定の時期が忙しかったので,基本的な家事と,妹達の面倒は兄か僕がやることになっていた。

僕は,掃除,茶碗洗いや米とぎ,みそ汁作りといった仕事よりも,妹と遊んでいた方が愉しかったので,できるだけ妹達の面倒をみる方を選んでいた。

当時の写真をみても,兄よりも僕が妹を抱っこしている写真が多い。

部屋の中だけでなく,僕はよく妹をおんぶして近所を散歩していた。

20年以上前の話になるが,その当時でも,そのような子どもは他にはいなかった。

放課後友達とあまり遊べなかったので,寂しい思いをしたこともあるが,僕は妹達がかわいかったので,抱っこしたり,遊んでいるのは愉しかった。


そして今,僕ら抱っこしていた妹が,自分の子を抱っこしているのだから,不思議な感じがする。



昔の事を思い出していたら,僕はある意味で,発達心理学者としての英才教育を受けてきたといえるかもしれない,と思った。

もちろん,これを「結果論」というのだが,それでも,結果的にはそういう風にもいえないこともない。

なにしろ,両親には,「勉強なんかしなくていいから,家の手伝いや妹の面倒をみなさい」と教育されていたのである。

そして実際に,小学校の6年間は,普通の勉強なんかそっちのけで,ずっと何らかの形で妹達の面倒をみたり,一緒に遊んだりしていたのである。



おかげで,卒論で初めて抱っこの研究を行ったときも,赤ちゃんへの対応には慣れていたように思う。

僕は大学では,教科書を読まない(買わない)人だったので,別段教科書を読んだり,勉強したわけではないのだが,赤ちゃんをどう抱っこすればよいか,あるいは,子どもとどのようにコミュニケーションすればよいのかわかっていた。

そのことは,自分ではあまりに当たり前のことなので,その自覚はなかったが,思い返せば,多くの母親に,「他の人にはなつかないのに西條さんにはなつくのが不思議」といったことをよくいわれていた。

また最近になって,ゼミの後輩達の話を聞いていると,みな僕のように,すんなりと子どもとかかわれるわけではないということに,今更ながら気づいたのである。


改めて両親に感謝である。




幼い妹を抱っこしたのを思い出しながら,秋晴れの空の下,ゆったり歩いている。







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Last updated  2005/10/01 02:45:50 AM
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