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西條剛央のブログ:構造構成主義

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西條剛央

西條剛央

2007/11/15
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カテゴリ:哲学
先日、夜中眠りかけながら、また一つ根本的なことがわかった。

一見背反するとされる二つの原理の元は一つだったのだ。そうして、“ 未 来 と 過 去 は 逆 転 し た ” のだ。

そうか、そういうことだったのか、だからあれもこうなって、あれとこれも同じ起源だったんだ、といろいろなことが一気にわかっていく。知のケミストリーってこのことだな。

気づきの深度が深いほど、その理路の射程は遠大なものになる。



分かってしまえばなぜ気づかなかったのかと不思議なぐらいだが、そうでありながら、それに気づいた瞬間、このことをこの深度において分明にわかった人はあまりいないのではないかと思った。

これまでこうした直観を外したことはない。

あらゆる文献を渉猟したわけではないのに、なぜそうした確信が成り立つのか?

それは、本質的には直観的なものはあるが、それを敢えて説明すればそれらの存在的距離はあまりに遠いため、両方の底に同時に着地した人はいないだろうという論理的な判断によっているといえなくもない。

そして、この二つの原理それぞれの根底まで降りてくという矛盾を矛盾させない知的肺活量と、その水圧に耐えつつ、明かりのない深海を静かに見渡す知視力なければ、それが同じ海嶺から出てきた異なるプレートであることに気づくことはできない。

だから、そうした関係性の本質的気づきに対する快感は、その存在的距離に比例するのだ。

ってことで嬉しい。




その内実については、いつかどこかに書きます。




僕はどこまで分かり続けることができるだろうか。愉しみだ。









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Last updated  2007/12/06 07:11:47 PM


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