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西條剛央のブログ:構造構成主義

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西條剛央

西條剛央

2011/03/17
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カテゴリ:東日本大震災
みなさんご無事でしょうか。僕は無事です。

東日本大震災。ありとあらゆる災害が同時に起き,国難といってもよい未曾有の事態です。

毎日,毎時いろいろな情報や判断が飛び交っていて,何しろこれほどの激震災は経験したことがないため,自分自身も混乱したところがあるのですが,ひとまずの結論としては東京はまあ大丈夫かなと判断しました(あくまでも個人的見解です)。

その根拠を以下に。

まず福島原発について。

まず原発から30km~ぐらいの危険とされている地域の人とかは,事実はどうあれ怖くて外出できないと思うので,ストレスによる健康被害が大きいということもあるので,仕事がない場合などは特にさしあたり疎開できるならしてもよいのではないでしょうか(問題は移動するためのガソリンがないことなので政府はガソリン問題の解消を優先的に取り組む必要があります)。

判断が難しいのはボーダーラインがどこかです。いろいろな情報が錯綜しているので,自分が最も信頼する(日本が有する最高知能だと信じている)池田清彦先生にいろいろ話を聞いたところ,詳細な専門的議論は省略しますが,結論としては,最悪の事態が起こっても東京はさしあたり大丈夫,ということで僕は納得しました。

核分裂は起こっていないのでメルトダウンはないと思いますが,福島原発を震度5強の地震が襲って云々という考えられうる限り最悪の事態が起こったとしても,半径200kmを超えている東京はさしあたり大丈夫。起きたら起きたで西に行ける人はいけばよいし,放射能がひどくなったら風向き次第だけど,その場合も最悪部屋の中にいるとかすれば大丈夫だろう。

しかし,30km前後の地域は最悪の事態が起こったらそれなりにまずいかも。

つまり,リスク管理の観点から,このあたりは個別の判断が難しいところ。ではどう考えればよいのか。その答えはもう少し先に話します。



次に「東京直下型地震」の可能性について。

これはリスク管理の観点からいって「その可能性はある」と仮定しておきます。

震度5の場合。この前と同じだから大丈夫。もはや東日本は震度5には耐性ができつつあります。

震度6の場合。
まともな建物にいる限り全然大丈夫でしょう。静岡で震度6だけどほぼ何ともなかったから。自分のいる建物は,住居も大学も頑健だからまず大丈夫。
(大学生の頃僕が住んでいたボロアパートの場合はすぐ飛び出せるようにするか,寝ているときに潰れてもなんとか助かるようにすぐに飛び込める頑丈な机かテーブルがあれば大丈夫かと)。

震度7~の場合。
あまり考えたくはないけれど,直下型でマグニチュードがでかいやつが起きたらありうる。

ただ日本の東京の建物はけっこう頑丈だと思っている。仙台の実家のボロ屋でも震度6強に耐えた。母は「すぐに家を飛び出して,どんな風に倒れるんだろうと観察していたわ」と笑っていた。どんだけメタレベルだ(笑)。

あと大きな地震を受けた後は弱っているから次に同じぐらいのがきたら倒れるという話をたまに聞くけど,それは半壊している場合などであって,そうじゃなければ倒れないとおもわれる。

その根拠は,仙台の実家は30年以上前の宮城県沖地震という直下型地震から(現在の震度6ぐらいに該当すると思う),幾度か震度5,6の地震を経ているから,ダメージ蓄積理論によればすでに倒れてしかるべきだけど,全然大丈夫だったから,主要な柱に致命的な損害を受けたとかじゃなければそんなことはないのだと思う。

まあだから頑丈な建物にひび割れしたりはあるだろうけど,倒れてくる本棚とかなければやりすごせると思う。

あと個人的には,運が良いからなんとかなるだろう,と思っている。

ただしここぐらいになると全体の被害はけっこう出てくるだろう。

津波は海岸近くにいたとしても,どでかい建物に飛び込んで4,5階までいけば助かるということがわかっているからなんとかなる(この状態だからあまり海の近くにいきたいひとはいないはずだが)。

震度7以上になれば,古い建物を中心に倒壊する建物はあるだろうからあちこちで火事は起こるだろう。東京は火事がもっとも怖い。万が一あちこちで火の手があがっていたら,とにかく火の手(煙)があがっていない方面に自転車とかで安全を確保しながら逃げたらよいと思う。 結局,新しい建物は倒れなくて,倒れるのは古くて耐震強度の弱い建物だから下町とかじゃなきゃ火の海ということはないと思う。


この震度7以上の可能性があると仮定すると,多少判断は難しくなる。ではどう考えるか。

まず家があまり頑健ではないとか,ちょっと危険な地域にいるという人,子どもが心配でという人,緊張と不安で疲れてしまったという人は,さしあたり慰安旅行だと思って西の方に遊びにいくか,この際,親戚巡りでもしたらよいと思う。

何もなければ帰ってくればよいだけのことなのだから,ずっと心配しながらいるよりその方がよい。妊婦さんとかもストレスは身体にあまりよくないので,安心できるところでのんびりすごしたらよいと思う。子どもを守り育てるのは大事な大事な仕事だ( はっきりいって今のところ放射能云々より,ストレスの方が健康を害していると思う。)

まあその場合,南下していっている地震ラインが延長する可能性(構造)を仮定すると,大阪は絶対安全とはいえないけども,それでも関東よりは相当安全だと思う。岡山,九州ぐらいにいけばまず大丈夫でしょう。 北海道や沖縄に飛ぶという手もあると思います。

ただし「逃げる」という気持ちではいかない方がよいと思う。パニックになって冷静な判断がしずらくなる可能性があり,よいことが起こらない。おそらく西に向かう人たちは少なからず焦っていたり不安になっていたりする人が多いだろうから,その雰囲気に飲まれないことが大事だろう。

長いスパンで何かが起きる可能性はある。しかし「今すぐ」に何かが起こる可能性は極めて低い(今は瞬間だから)。だから慌てることはない。地震をいいことに,遊びに行く,リフレッシュしにいく,旅行にいく,ぐらいの気持ちでいけばよいとおもう。移動すれば経済も回るので経済活動に貢献したことにもなる。 何か貢献したいという人は,ネットでの情報提供,募金等々安全な地域だからできることをすればよいと思う。


さて,じゃあ仕事があって離れられないとか,責任があるとかそういう人はどうすればよいか。

これも個人的な見解に過ぎないけども,僕は東京に留まってできるだけ「日常生活」を送るよう心がけることにした。

今回の災害はアナロジーとしていえば「戦争状態」なのだと思う。

戦後はじめて1万人以上もの死者を出した。壊滅した街はまるで空襲にあったか,原爆でも落とされたかのような惨状。戦争のような人災ではないけども,壊滅的に一方的にやられたという意味では同じだ。

だから僕は社会人として「戦わなければならない」と思った。それは空襲(震度7以上の大地震)の可能性があるというリスクを覚悟した上で,いつも通り仕事をして,経済を廻すということだ。 しかしその可能性は低く,かつ1ヶ月ぐらいは関連して起きる地震の可能性を考える必要がある。そうすると何もできなくなる。

もっとも,大きく被災した地域や,原発などのリスクが大きく,不安だという人は,そこにいてもストレスで健康を害したりして,うまく不経済は廻すことはできないだろうから,もし移動することが可能でそれを望むなら安全な地域に移動してそこでやるべきことをやればよいと思う。それは何も悪いことではない。

それから危険な地域に留まり続けることが遠方の家族や親しい友人達のストレスになることもある。今回,親しい人の安否がわからない,家族や友人が「危険な地域」とされているところにいるということが,どれだけストレスになるのか,強く実感できた。

仙台の実家の両親にも移動するように強く勧めた。そこにいても何もできないのだからと。何もなければ帰ればいいんだからひとまず安全なところにきて欲しいと。

しかし行かないという。まず田舎の人はそんなものだ。原発が本当に最悪の事態になったら北の親戚のところに行くと。それはそれで生き方だからまあしゃーないかなと思った。

それに池田清彦先生曰わく,子どもとかはよくないけど,高齢の人はヘンな話そんなに先も長くないから放射能を多少浴びてもそれほど大差ないかもしれないとおっしゃっていて(笑),まあそれもそうだなと思った。

「そのひとが生きたいように生きたい」という欲望の本質=「自由」に照らしても,その人の生き方を尊重すべきなのだろう。

いずれにしても言うべきことはいったし,自分にできることをしたから後悔することはない。きっと,本当に最悪の事態になったら逃げるだろうし,あるいはたいしたことないと判断したら腐海の森で生きる人々のようにそこで生き続けるのだろう。「いけねショウキ吸いすぎちゃった」とかいいながら(笑)。

まあそうなったときはそうなったときで,その意思を尊重した上で支援をすればいいと思えた。



話を戻そう。

東京で社会戦士の役割を果たすと決めた僕にできることは,ふつうに働くということだ。募金や義援金チャリティなどもするが,基本的には研究や執筆,教育を続けるということだ(先に述べたように,子どもがいるひとは子どもや母親だけでも落ち着くまで疎開させるのもよいし,家族で一緒にいた方が安心できるなら一緒にいたらよいだろう。実体的な危険度というよりも,ストレスによる健康被害という視点で考えた方がよいかもしれない)。

なお,物品の買い占めとか,お金を貯めようとか,社員をあまりとらないようにしようとか,そういうことは社会を停滞させることになるので,復興の妨げにしかならない。現地の惨状に胸を痛め,何か力になりたいと思うならそういうことはしない方がよいと思う。


そして文字通り「万が一」が起きたら起きたで,前半で述べたように覚悟を決めて対処すればよい。

身近な人でまだ安否のわからないひともいるが,それが自分にできることだ。



僕も今回は家族のことで不安になったり,動揺したり,悲惨過ぎる映像に引き込まれいつの間にか気持ちが落ちていたり,錯綜する情報に惑わされたり,それらが重なってストレスになったり,ひと通り経験した。故郷の惨状をテレビでみるのは何か心をえぐられるような,酷い傷を残すものだということもよくわかった。涙が流れてきた。 今回,テレビベースドの心的傷害を負った人はかなりの数に上ると思う。

そして事態がみえにくい原発問題とゲリラ的に頻発する大地震。

これほど判断が難しいと思ったことはないかもしれない。

同じような思いをしているひとは多いと思う。

でも自分なりにがんばって悩んで疲れ切ったときに,もういいやと思った。

不思議なもので,その途端こう考えればいいかと気持ちが整理できた。

地震や原発がどうなるのか事実的なことはほんとうのところよくわからない。でもアナロジーとして,今は戦争状態として考えれば問題ないだろう。疎開すべき人は疎開したほうがよく,社会戦士として戦う(働く)人は休み休み戦えばよい。

大丈夫。

日本は必ずこれを乗り越えてより成熟した社会になる。世界でも一段飛び抜けた国になれるはずだ。

この凄惨な経験を肯定することは決してできないけども,近い将来に,そうした犠牲があったからこそ僕らはこういう社会になれた,と思うことはできる。

それが僕らが目指すべき未来なのだ。



(早稲田大学大学院講師 西條剛央)

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Last updated  2011/03/27 07:20:09 AM
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