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西條剛央のブログ:構造構成主義

西條剛央のブログ:構造構成主義

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西條剛央

西條剛央

2011/03/18
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カテゴリ:東日本大震災
僕らは天災は防ぐことが(基本的には)できませんが,人災は防ぐことができます。

現在は二次災害対策として,いわゆるデマによるパニックをどう防ぐかが重要になってきます。

では「デマ」とは何でしょうか。

科学哲学的にいえば,デマかどうかは事後的にしかわからない,ということになります(意図的でない限り)。

なぜなら,デマとは原理上,あれは事実ではなかったということがわかったときにはじめて「デマ」になるからです。

ですから事実であることがデマになることもあるし,デマといわれていたものが実は事実だということもありうるわけです。

ここのところはややこしいのですが,ややこしいのが現実ということもあります。


今回原発の問題に関してはほとんどの人が素人です。

専門家にしても現場の状況はわかりませんから,東電のいっていること,政府のいっていることを正しいと前提して判断する他ありません(さすがに東電がこの状況で隠蔽などしたら潰れるほかありませんからそのようなリスクを犯すとは考えにくいですが)。

その東電が持っている情報すらごく限られたものです。 また政府も基本的には国民の安全確保(身体的被害,パニック被害)を避けるという関心のもとで会見するはずです。

そうしたなか,我々は伝えられたごく一部の情報から「事実」を構成していくことになります。「どうやらこれが事実らしい」「たしかにこれは事実だ」という形で。




ではこの「事実」とはどのように構成されるのでしょうか。

そのベースとなるのは「自分」です。

僕らはそれぞれ様々な知識や言語,あるいは心配や不安,安心といった心的構造を持っています。

今の状況では,みんな多かれ少なかれ不安や怖れがありますから,その鋳型にそって事実を作っていくことになります。 つまり,多くの場合,リスクを回避したいという気持ちにそって,事実を集めていくことになります。

その「自分」が,様々な情報に接します。

地震や原発のリスク回避に関心が強ければ,日本の安全だという情報よりも,海外の危険だという情報の方を優先的に集めることになります。

パニックを防ぐというリスク回避の関心のもとでは,安全だという情報を集め,広めることになります。

今,僕は大地震や原発そのもののリスクよりも,人災としてのストレスやパニックのリスクの方が相対的に高まりつつあるという状況判断のもとで,どちらかといえばパニックを防ぐということを重視してこれを書いています。

ですから今は情報が二局分かしやすいのです。みなさんもそれはみていてわかると思います。




また情報は発信者に対する信頼等々により重み付けが違います。

たとえば一般人よりも専門家や大学教授,あるいは国の機関などの情報は信憑性(なるほど確かにそうだと思える程度)があると受け止めるのが通常です。

さらにパニックという観点からいえば重要なことは次のことです。

通常は自分が信頼している人の情報は信頼に足ると思っています。なぜなら今まで基本的に信頼することでうまくいっていたからです。

しかしここ未曾有の(誰も経験したことがない)事態において,これまで通用してきたからといって,「自分が信頼できる人を全面的に信頼する」という方法を遵守することは危険です。

極端な話ですが,正確な情報を流しているつもりでも,万が一東電や国が嘘をついていたなんてことがあったら(さすがにそのような自殺行為はしないと思いますがゼロではないと思っている人は少なくないでしょう),それを流した人も結果として嘘の情報を流したお手伝いをしたということになります。

そこまで極端じゃなくとも,先に述べたとおり,今は誰もが手探りの状態なのです。

しかも家族を守らなければいけないという場合,初動の早さが大事になってきます。それを僕らは嫌というほど,津波の映像でみせつけられました。

津波の被災地では,これまで幾度となく津波警報が流れ,その度にたいしたことがなかったという経験を重ねてきたはずです。その「津波警報」を今回真に受けて迅速に逃げた人は助かる確率は高かったでしょう。

他方で,オオカミ少年ではありませんが,どうせたいしたことないだろうとたかをくくって歩いている老人が津波に飲まれていくような映像を僕らはみてしまっています。

そういうこともあって,今初動性の迅速さが生き残るために重要だという認識は強くなっているといえるでしょう。これは専門家や有識者も例外ではありません。

だから初動を早くすることによるリスク回避バイアスは高くなっています。そういう中で情報を処理して伝えることになります。

そういう状態ですから,今回の震災は慌てやすい条件が揃っているのですが,人類が体験したことがない未曾有の複合災害ですから,自分が信頼している人の発言すらそれを盲目的に信じるのではなく,多角的に情報を集めて批判的に吟味する必要があります(錯綜しすぎて混乱してわからなくなったらとにかく家でじっとしている,という方法をとれば大丈夫だと思います)。



今は不安や恐れが僕も含めてみんなのなかにあるため,いわば「おおげさ」な情報が回りやすい状況なのです。しかしそれが「おおげさ」かどうかも,実際のところは時間が経ってみないとわからないというとても難しい状況なのです。

そしてだからこそリスク回避のために,危険度に対して敏感になり,送信者はそれを流し,受信者はそれを増幅して受け止めてしまいがちなわけです。

特に,不安や怖れがある中で,大学の関係者が云々とか,東電の社員が福島から退避している(無論事実かどうかわかりません)といった,通常であればリソースに信憑性がありそうな情報については鵜呑みにしやすいのです。それが信頼している人を通じて伝わればなおさらです。

こういう緊急的な状況においては,守りたい人(信頼している人)から守りたい人(信頼している人)に伝わるものですから,それは「本当だ」という確信のもとで伝わりやすいのです。

ごく稀には積極的に「デマ」を流す人もいるんでしょうが,おそらくそういう人間はそもそも信頼してくれている人がいないため,逆に回りにくいはずです。

前にもちょっと書きましたが,家族や大切な人を守りたいという気持ちから誰かが発した情報が,伝言ゲームのように膨らんでいって結果として「デマ」となってしまうのです。

今回多かれ少なかれ間違いはみんなしています。何度もいうように,何が間違いで何が正解だったかは事後的にしかわからないので,その意味ではそういうことを問題としてもしょうがないのです。

中には西にむかった人を「逃げた」と責める人もいるようですが,子どもや家族といった守るべき人を安心できるところに連れて行くことを誰も責めることはできないと思います。同時にそのように責めた人を責めることもできないはずです。

誰もが限られた情報と刻一刻と変わる状況の中で「よい」と思う方法を模索しているのです。

繰り返しますが,度重なる余震と原発の不安があるなかで,みんなが手探りしながら,みんなのためにと思って行動した結果として,あとからみれば間違った情報を流す一プロセスを担ってしまった,というものがデマの正体です。

これは基本的に誰かに還元できるような問題じゃないのです(わざと流した人などはまた別の問題になるでしょうが)。

そういうことで,人と人が憎しみあったりしても誰も幸せにはなりません。みんなすでに十二分に傷ついています。

お互いさまと思って思いやりの心で許し合いましょう。人間はそもそも不完全な存在なのですから,自分もその例外ではありません。


ではどうすればよいのでしょうか。

今できることはみんなが不安になるような情報は極力流さないことだと思います。

東電は自ら信頼回復不可能な隠蔽はしないはずです(それこそ潰れます)。

政府もパニックを防ぐというだけなら,徐々に徐々に退避勧告範囲を広げているはずです。

今は心をケアして,自滅をしないことが大事です。

ストレスによる健康被害を防ぐためにも,まずは東電を信じましょう。政府を信じましょう。

なお,この日記の内容が「よい」かどうかも事後的に決まります(笑)でも今の時点ではこう思っておいた方が有効だろうと僕は思っています,ということです。



こういうときに安定するには,いろいろ一通り考えたなら,何かを「決めること」だと思います。

僕は油断も楽観視もしませんが,東京で日常生活を送ると決めました。

被災者のためにできることをすると決めました。

地震を恐れないことに決めました。

放射能もよほど事態が深刻化しない限り大丈夫だと思うことに決めました。

実家の両親も心配しないことに決めました。



それから根本仮説を信じることです。

たとえば運命は決まっている,という命題があります。これは根本的に確かめようがないので,哲学的には根本仮説といいます。

ですから真理かどうかはわかりません。

しかし,こういう状況が不安定なときは,「運命は決まっている」と思うことで腹は据わります。決まっているのだからじたばたしてもしょうがないとなります。

それは諦めるということではありません。できるだけのことして,考えるだけのことを考えて「決めた」ならば,あとは「人事を尽くして天命を待つ」しかないということです。

僕らは基本的な考え方は同じですから,同じ状況に放り込まれたならば,やはり同じ決定をするはずですから,それ以上考えても何にもなりません。

その都度状況を見極めて,方針を決めたならば,それが自分の運命を歩くことだと思い定めて,誰のせいにすることもなく,それぞれが歩みを進めればよいと思います。



(早稲田大学大学院講師 西條剛央)

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その他の大震災関係の記事はこちらを下に下がっていくとあります→ http://p.tl/XcQA






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Last updated  2011/03/29 02:11:50 AM
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