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西條剛央のブログ:構造構成主義

西條剛央のブログ:構造構成主義

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西條剛央

西條剛央

2011/03/22
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カテゴリ:東日本大震災
余震が今なお続く現在,不謹慎だとかそうじゃないとか,いろいろ議論があります。

ではそもそも不謹慎とは何でしょうか?

それがわからないと不謹慎かどうかもわからないし,自分が不謹慎なことをするのを回避することも難しくなります。

ここであらためて不謹慎とは何か考えてみましょう。





最近では,プロ野球セリーグの開催が不謹慎だとかいわれています。

僕も正直そう感じます。

しかしここで「だから絶対不謹慎だ」とか,「いや不謹慎ではない」とか考えては答えは出ません。

そうではなくて,「なぜ自分はそれを不謹慎と思うのか」と確信する理由を遡及的に考える必要があります。

不謹慎と思ったり,思わなかったり,不謹慎と言われたり,言われなかったりする事象を比べてその違いを考えてみると答えがみえてきます。





まず不謹慎だとか不謹慎じゃないとか感じる人は誰でしょうか?

それは「そのように感じる人」です。 当たり前です。 しかし大事なところです。

この当たり前のことがわからないとセリーグのオーナーみたいなひんしゅくを買ってしまいかねないのです。

自分の中でどれだけ正当性があったとしても,不謹慎だといわれるのにはそれなりの理由があると思った方がよいでしょう(ただし誰かから不謹慎だと言われた=誰からみても不謹慎という話ではないことではありません)。

おそらくセリーグオーナー達が今「不謹慎だ」とひんしゅくを買っているのは,本質的には「傷ついた国民の(被災者の)気持ちを汲もうとしなかったように感じられた」という点にあると思います。

簡単にいえば,

「今これほど傷ついている人がいるのに,なぜ目の前でそんなことが言えるの?そんことができちゃうの?」

といった形で傷ついてしまう人がいる(と思われる)というのが不謹慎の本質だと思います。





多くの人が「みんなが節電や計画停電に貢献しているのに,ナイターなんてけしからん」といっています。

これも「今これほどがんばっている人がいるのに,なぜ目の前でそんなことが言えるの?そんことができちゃうの?」というヴァリエーションということができます。

しかし,節電云々は今回の不謹慎の本質ではないと思います。 だから電力を半分にするからとか言っても国民は納得しなかったのです。

蓮舫さんは延期するように忠告しにいきました。そしてそれでもやるというなら科学的根拠を示していただきたい,といいました。

野球開催を決定するのに科学的根拠もなにもあるわけないですから,これはほとんどいちゃもんといってよいほどの「通せん坊」です。

仮に「わかったその分の電力は自費で購入して(あるいは自家発電して)なんとか補填ますから」といっても国民は納得しないと思います。したがって,国民の声を汲み取る感度によって動いている蓮舫さんも納得したとはいわないでしょう。

なぜなら,不謹慎の本質は「今これほど傷ついている人がいるのに,なぜ目の前でそんなことが言えるの?そんことができちゃうの?」だからです。

国民や選手会も反対といったのに,それを無視しようとしたり,4日延期するだけでお茶を濁そうという対応は,国民の憤りを助長するだけです。

だから納得することはないのです。 そこをセリーグオーナー達はわかっていないのでしょう。





つまり,この問題は合理ではなく,感性の問題だとわかっていないのです。

オーナーの関心は経済や合理,復興といったものにあるのに対して,国民の現在の関心は被災者としての感情にあるのですが,そのずれが腑に落ちて理解できていないのかもしれません。

だからオーナー達(の一部)はこう思っているはずです。

なぜだ。プロ野球のナイトゲームをやればそれが義援金になるし,その方が復興のためにもなるはずだ。そんな感情に流されて不合理な決定をするのはおかしいと。

しかし,国民は実はそういう合理的な話をしているのではないのです。 自分達の気持ちがないがしろにされたという気持ちに「不謹慎」というコトバを当てて,「無神経なことはやめてほしい」といっているのです。

そもそも某オーナーは戦後3ヶ月で野球をやった云々といっていますが,今国民の多くにとっては戦争に喩えるなら戦時中です。

今もって余震(空襲)は続いていますし,行方不明者の捜索も続いています。ライフラインも復旧しておらず,食料やガソリンが届いていないところもたくさんあります(うちの実家もそうです)。 復興期ではなく,まだ被災期(戦争期)なのです。

また,被災地に限らずこれからいつなんどきどんな地震があるかもまだわからない状況なのです。


某オーナーの説明のアナロジーが当てはまっていない以上,まったくもって「国民の気持ちを無視して自分が決めたことを押し通す強硬姿勢」にしかみえないわけです。 だからたとえこのまま強行しても,セリーグにとって良いことは何もないでしょう。

国民の中にはたとえ論理が通っていたとしても「自分たちの気持ちを無視して強行した」という一事をもって許すまじと思うひともいると思います。

ここでは,このことの良し悪しを言っているわけではありません。もちろん観点によって賛否両論がありうるでしょう。

それはそれとしてここでは,不謹慎とは結局こういうことだから,このまま強行すればおそらくこうなるよね,ということを言っているのだと受け取っていただければと思います。





このように考えてみても解りやすいと思います。 同じナイターで野球をする無名の団体があったとしたら果たしてどうだろうかと。 きっと知らぬ間にはじまって終わっているはずです。

「今これほど傷ついている人がいるのに,なぜ目の前でそんことができちゃうの?」ということが問題なのですから,該当する出来事がそう思う人の目の前に立ち現れなければ,不謹慎もヘチマもないのです(当たり前です)。

しかしプロ野球というのはあまりに代表的な国民的スポーツでありレジャー?ですから,テレビを通してその動向は目に飛び込んでくるため,「不謹慎」となりやすいのです。

選手はその点の感度には敏感です。ですから妥当な判断ができるわけです。

オーナーは強者過ぎてそのような感度が鈍くなっていると考えてもよいでしょう(しかし一片の知性があればさすがに妥協せざるを得ないと思いますが)。





さて,以上はプロ野球を例に考えてきましたが,これは僕らにも当てはまることです。

たとえば,僕は(3.18日だったかな)他の日記で余震や原発の問題によって心身の緊張状態が続いているため,昼間からビールを飲んでもよいぐらいだ,といったことを書きましたが,不謹慎とは今のところいわれていません(ありえないことですが仮にこの日記が何十万人にも読まれたならばそのようにいわれる可能性は出てくるかもしれませんが)。

これと同じことを一国の首相や官房長官がテレビで言ったらどうでしょうか。「不謹慎極まりない」と非難囂々,罵詈雑言,となりとんでもないことになるにちがいありません。

それは映像や声の届く範囲が,被災者を含む,多くの人たちにも間違いなく届くとわかっているかからです。

「それがわかっているはずのそういう立場の人がそういうところでそういうことを言いますか!」となるわけです。

これはまさに「今これほど傷ついている人がいるのに,なぜ目の前でそんことができちゃうの?無神経にもほどがある」 ということです。

だから逆にいえば,総理が親しい友達に,「今日はもうやりきれなくてさっき1杯飲んじゃったよ」といっても不謹慎にはならないわけです(その友達がマスコミにチクれば話はまた違ってきますが)。





僕を含めだれでも不謹慎のしっぽを踏む可能性はあります。 たとえば,

震災直後に,震災にはまったく触れずこんな素敵な指輪を買ってもらっちゃったいいでしょといった日記ばかり公開する。

震災直後に,震災にはまったく触れず美味しい料理の写真をブログにアップしまくる。

震災直後に,震災にはまったく触れずに著書の宣伝をしまくる。

といったものをみたら「不謹慎だなあ」と思う人はいると思います。

当たり前ですが,自分しかみない日記に何を書こうが他者から不謹慎と思われることはありません。

しかし自分では個人日記のつもりで書いていても,多くの人が目にする可能性があればそれは「被災者が目にする可能性がある」のです。

「今これほど傷ついている人がいるのに,なぜ目の前でそんことができちゃうの?」という思いは「自分の気持ちにまったく配慮してくれない」という憤りなります。

怒りの多くは傷つけられたことによって二次的に生じるのです。

たとえば,お葬式の喪主に対して死者にはまったく触れずに商売の話を持ちかけるような人がいたならば,いくらそれが経済的にみて合理的であったとしても,周囲でみているひとは「不謹慎な」と思うことでしょう。

実際,震災直後に,ある家具会社の社長が「震災こそビジネスチャンスだ。東北で高く売りまくるぞ」といったことをブログで豪語して,炎上していたのをみました。

日本人の感性を理解していない以上,日本で商売を持続的に成功することはできないなと思いました。





不謹慎とは感情の問題なのです。 それが今回は表面的には「電力が云々」という合理的な形をとっているだけです。

しかしだからといって感情の問題なのだから,感情的に不謹慎と思う人がいるかぎり何もすべきではない,というのはまた偏った考えのようにも思います。

復興を重視する観点からみたら,ある程度時期が過ぎたならば(それはおそらく行方不明者の捜索を中心とした被災期から復興期にフェイズが移行した頃でしょう),いつまでも「これほど傷ついている人がいるのにそんなことをするなんて無神経な」と言い続けてても,本当に復興の妨げになってしまいます。

だから気持ちが整理できはじめてきたら,ある程度「復興につながる営みこそが被災者のためになるんだ」という視点を意識的に持つことも大事です。

ただし今の段階で,プロ野球をした方が経済的には良いということが科学的に示されたとしても,感情的に今はそういうものを見る気分ではないという人が多いならば,その合理は不合理な決定ということになります。

繰り返しますが,不謹慎問題とは,経済的な問題ではなく心理的な問題だからです。

同じ事象であっても関心の所在によって物事の立ち現れ方や見え方は変わってきます。

自分は(相手は)どういう関心から考えているのかを見定める必要があります。



ですから,影響力が強く,多くの人に発信する立場にある人は,そのメッセージを受け取る人の気持ちを慮って(おもんぱって),傷つけないように配慮するということですね。もし傷つけてしまったならば謝ればよいと思います。

とはいえ今はしかたないにしても,今後ずっと不謹慎不謹慎とばかり言っていても,窮屈になり復興につなげていくことはできませんから,ある時からモードを切り替える必要もありますね。

そのためには,とにかく空気を読みましょうということではなく,それぞれの関心の所在がどこにあるのか(経済なのか合理なのか,はたまた感情なのか)を踏まえつつ,それらによって良し悪しは変わるということを自覚して,お互いの関心を尊重しながら,調整しつつ前に進む他ないということです。



ところで,今回の地震も空気を読まなすぎると不評ですが,連休に余震があまり起きなくなったときはそれなりに空気を読んだのかなと思いました。連休が終わると同時にまた余震が活発になったのは,再び業務に戻ったのでしょうか。


それにつけても,不謹慎な地震ですなあ。


(早稲田大学大学院専任講師 西條剛央)

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Last updated  2011/03/26 06:16:42 PM
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