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西條剛央のブログ:構造構成主義

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西條剛央

西條剛央

2011/03/26
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カテゴリ:東日本大震災

震災直後の数日は,テレビをみながら,リビングでTwitterで情報を集め,有益と思った情報を流し,チャリティを呼びかけ,行方がわからない伯父の情報を集め,高校の同期の安否確認をするために全員にメールしたりしていました。

その間,基本的にテレビつけっぱなしだった気がするのですが,Twitterをみると,翌日の3月12日には,「悲惨な情報ばかりに触れているとあれなので一旦テレビを消してTwitterも休んで心静かにお祈りしたいと思います。そういうのも大事な気がする。」とつぶやいてます。

これは意外でした。もっと長くあの凄惨な映像に囚われていたように感じたからです。

3.13.には,Twitterに次のようなメッセージを流していました。

「テレビの映像は,あまりの凄惨さに目を奪われて目を離すことができない,という意識もなく時間が過ぎ去っていて,気がつくと気分が落ちている。テレビベースドのPTSDにならないためにも,日常生活を送ることを心がけ,意識的にみないようにする時間を作りましょう。」

これはかなりの人にリツイートされていたようでしたが,他でもない自分の感情を観察して自分自身に言い聞かせていました。

凄惨な映像には催眠にも似た「魔力」があります。惹き付けられて,気がついたら感情の底で涙が流れている自分に気づくといった感じです。

他にも同じ事を感じた人はかなりいたようで,僕がリツイートした中にも次のようなものがありました。

3月13日
[@hiranok テレビは今回、よく頑張ってると思うけど、津波映像などを何度も何度も繰り返し流すと、それはもう報道ではなくて、衝撃映像番組。必要なことだけを的確に。被災者に無闇に「気持ち」を尋ねたり、言葉に詰まって立ち尽くす姿を撮影し続けたりするのは止めるべき。 ]

3月13日
@CrazyHearts83 Madaichael Jackson
[テレビ局はどこも無意味な映像流すだけ。一日中悲惨な映像流して関係者の不安を煽るだけ煽って取り除く事は全くしない。なんの為に現地入ってんの?ヘリは何度も同じ場所、なんの為にヘリ飛ばしてんの?無関係な視聴者向けの放送。ドキュメント番組は事態が鎮静化してからやれよ。 ]





この頃には,電話が昼間にもかかりやすくなってきたことから,池田清彦先生と話をしました。

池田先生は茨城にいる娘さんのことを案じながら,「本当に大変なことになったなぁ」とおっしゃっていました。

どうすればこの震災を乗り越えられるのか,いくつか根本的なアイディアをいくつも考えておられましたが,この日もっとも印象深かったのは,池田先生が「なんかやる気が出ないよな,いくつか原稿の締め切りがあるだけど,どうも取り組む気力が湧いてこない」とおっしゃったことです。テレビの映像から現場がどれだけ凄惨なことになっているか想像できる,可哀想すぎると。

僕もわかりますといいました。

池田先生はかなり精神的にタフな人です。柳のようなしなやかなタフネスを生来兼ね備えているような人です。

その池田先生にすら「やる気がでない」と言わしめるのだから,震災そのものもさることながら,それを繰り返し流すテレビの映像の威力というのは物凄いものだと思いました(とはいえその後は生きている自分たちはやらなきゃいけないなとおっしゃっていたので原稿は書かれたに違いありません)。

僕が「テレビを見過ぎると具合悪くなりますよね」というと,「うん,女房も胸が痛くなったといってるよ」とおっしゃっていました。


またその頃,お父さん(伯父さん)の安否がわからない従姉妹を電話で励ましたり(弟さんと旦那さんは現場に向かっていたため一人だったのです),代わりにmixiのコミュニティで情報を集めたりしていました。その日は,安否が気になるから見たい気持ちはわかるけどテレビをずっとみているとやられるから,意識的にみない時間を作った方がよいよ,と言いました。

すると,従姉妹は,実家に電気が通ってお母さんが初めてテレビをみたら号泣しちゃったんだ,といいました。





以下はその翌日のTwitterです。

3月14日
@Kchang40 Keisuke Kimura
[仙台市で被災した者です。電気が復旧し始め、TVでマスコミの被災者へのインタビューを見て愕然としました。人の悲しみ、苦しみを増長するためのものにしか見えません。なんのため?誰のため?このギリギリの状況で欲しいのは希望です。なのにマスコミが私達に与えているのは絶望でしかないじゃないか. ]

3月14日
[@assii 被災者です。昨日、通電してテレビをつけましたが、自分が置かれている状況が映像となると、衝撃が強すぎて耐えられません。それ以来TV見てません。現地では「テレビを見るな」という声が至る所であがっています。被災者の事を考えた配慮を! ]

上に引用したツイートにもみられるように,この頃には,多くの人が凄惨なシーンを繰り返し流し続けるテレビをみる弊害に多くの人が気づきはじめ,意識的にテレビをみない時間を作る,という選択をしていったようです(この悲劇は忘れないようにしようと思い,その頃の報道を録画しておいたのですが,早送りすると何度も何度も同じシーンが繰り返されていることがよくわかります)。

僕は「何のための報道なのか,何のためのマスコミで,何のためのテレビなのかを考えて報道して欲しい。」とツイートしました。

今でもそう思っています。

さすがにテレビ局もこれはまずいと思ったのか,お上からのお達しがあったのかわかりませんが,何かに呼応するようにあっという間に凄惨な映像は流さなくなりました(流すとしても時折といった感じになりました)。この切り替えの早さは目を見張る物がありました。





テレビ報道の「罪」の側面を強調してきましたが,しかしこの頃の報道にも大きな意味があったと思います。

「こんなにも悲惨な出来事が起こっているのだ」ということを広く知らしめることによって,多くの人の同情と共感を呼んだのは間違いありません。

それによって国内外から多くの声援と祈りが届けられました。多くの人が勇気づけられたと思います。

また,そうした報道が,被災者の支援や復興に必要な多額の義援金が寄せられるきっかけとなったのも確かでしょう。

人類史上最悪の震災は,東日本全体が頻発する群発地震に襲われ,津波や原発が深刻な問題をもたらしたため,多くの人が広い意味での被災者となりました。そのため東日本の多くの人が,何らかの形で自分や家族の生命の危険性を感じたことでしょう。

ライフラインという点でも,交通機能の麻痺や計画停電を通して自分のこととして受け止めなければならない状況になりました。

しかし,仮に一切報道されなかったとしたらどうでしょう。おそらくそうした広義の被災者にもならなかった地域では,それほど深刻に受け止められることはなかったと思います。

今回の震災を通して,報道には物理的,心理的に遠く離れている人と現象を共有する機能もあるのだという当たり前のことが,新たな意味をもって感じられたのでした。

http://p.tl/Etamに続く(文字数制限の一万字に収まらないので)。








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Last updated  2011/03/27 08:02:37 AM
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