「ここ、あいてますか。」
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(再編集しました、すいません) まず始めにお話させて下さいね。なぜ、私が「回想録」みたいなものを、延々と・・まるで、金魚のウ○チ(失礼!)みたいにずるずる書いているのか・・。それは、「私たち、こぉんなに苦労したのよぉ~ん」と、苦労自慢??をしたい訳ではないのです。だって、どこの家庭だって、また独身の方だって、それぞれ、いろんな経験をしてきて、今があるんですもんね。で、私の気持ちというのは、15日の日記にも書いたのですが、「障害があるから」という理由で、優遇されると、周りの人からは不満があがるのではないか、という不安があるのです。これ、実際に息子のクラスで、あったのです。私と先生の間に、ちょっとした連絡の行き違いがありました。先生は、その日、ジンすけが下痢気味だと思って、授業中にトイレに行くことを許可しました。すると、一部の子から、こう言われたそうです。「ずるい、何でジンすけだけ特別扱いするの?」理由を話すと、みんなは納得してくれたそうです。・・・でも。私はその話を聞いて、複雑でした。なぜなら、ジンすけは・・他の子と、感覚が違うから。興味が分散しやすい。まっすぐ、長く立つ事が苦手。(体のバランスが良くない)簡単なルールを、忘れる。周りの「空気」を読めない・・・。社会性が、同年齢の子並の発達をしていない。なのに、読み書き・算数は普通?に出来る。これが、発達に凹凸がある・・「発達障害」なんですねぇ。ただし、自閉であるみんながそうかというと、これがもう・・・バラッバラ、なんですよ~。自閉症以外にもLDなどが、わりに知られたものです。(学習障害と発達障害とは、明らかに違う。何でこんな間違いしたのかしら??ここの記述については、きちんと訂正・補足しないと!)←ひとっりごとです、失礼しました!他の物については、いずれフリーページなどで紹介・・・できるよう、頑張りま~す。で、本文に戻ります。周囲の子の不満を聞き、「どうしたら、いいんかな~」と、ちょいと考えてしまいました。今はまだ低学年だから、みんなは納得してくれる。でもねえ。高学年になり、授業内容も変わる、生徒会の活動などもある。いつか、他の子の不満は「本物」に、なる。愚痴になってしまいますが、「社会性」に問題があっても、結局、知的な遅れがないので、「障害児学級」に籍をおいても、ほとんど「通級」(普通学級の中の席で授業を受けることです・・個別授業を受けるときを言うこともあるようです。学校により、名称が変わるのかな?)・・に、なるだろうとのこと。先生からは、これ以上個別対応はできない・・と返事。障害児級には、他にも児童がいるので、大変なのだそうです。それで、提案させてもらったのが、ジンすけにも「人から感謝される経験」をさせてほしいと、先生と相談しました。彼は、人から疎まれることはあっても、感謝される・誉められる事は少ない。小さなことでも、彼にも役割があるのだということ、それを果たしたときには、何か本人にも自信につながり、周囲からも「お、サンキュ!」と言ってもらえれば・・。いわゆる学級内の係の他に、ひとつ役割を持たせてほしい。先生は、いいアイディアを出してくれました。「負担にならずに、毎日できそうなこと」(え~っと・・ごめんなさい、ここでは書くことをやめておきます。)とりあえず、本人も楽しんでやっているようです。まとまりが無いなぁ・・(苦笑)障害があっても、「スタンダード」に近づくことを望まれる場合がある。また、本人が、そう望むときもあるでしょう。しかし、「個別支援」と「特別扱い」は、表面上似ているため、周りが不満を持つことも予想される。。。そういった時、どんなクッションを用意すれば、本人と周囲が、笑顔で過ごせるようになるのか。もちろん、全員が満足・・・というのを期待するのは困難。でも。理想の形を考えていくことは・・・できる、かなあ??できれば、いろんな立場からの意見をお聞きしたいのです。書き込み辛ければ、左側にメールフォームもありますので、どうぞ、よろしく!!(はぁ~、こんなに長い文章?・読んで下さって、ありがとうございました!)・・・あなたの隣に、こういう子がいたら・・どう思います?・・・<タイトルが少々曖昧だったので、変更しました。 前・・「不公平感」を減らしたいな。 後・・「周りの不満」を減らしたいな。です> **大幅に、加筆・訂正しました。**
2005年01月20日
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さて、我が家は一ヶ月後に引越をすることとなりました。実はこれ、ウチが希望したことなのです。ジンパパは、当時の職場で、人員不足による激務の為、体調をくずしていました。過労で入院寸前までになったことも・・。(でも入院してないっていうのは、結局世渡り上手なのかも?)他にも理由はありましたが、またそのうち・・・。 ジンすけは、「通園施設」にいた間、大きな伸びを見せてくれました。まず、言葉が一気に出始めました。発音は今一歩・・・でしたが、私には十分通じました。(笑)ごく簡単な二語文なら、自発的に言えるようにも。(例・○○、ちょうだい・・など) そして行動面。それまでは、周りの人のことはおかまいなし、だった子が、挨拶をする、 気に入ったおもちゃがあれば、見せに来る、迷子になったら泣く・・など。普通の子なら、自然に身に付けて行くことです。でも、ジンにはそれがありませんでした。・・・嬉しかったです。それまでは、迷子になっても平然としていた子が、大泣きして、その居場所を知らせてくれるようになったのですから。今なら、引っ越しても何とかなるかもしれない。そんな期待もありました。ただ、私にはひとつ・・不安がありました。「この子、知的な遅れがあるだけ・・・なんだろうか?」最後となる、ドクターとの相談の日、思い切って、こう聞きました。「先生、うちの子・・自閉症なんでしょうか」医師は、笑ってこう言いました。「お母さん、こういう子は、自閉じゃありませんよ。いろいろ興味持って、動いて・・ほら、私たちにも注意を促してくるでしょう? 反応を見てますよ。ただ、成長するにつれ、他の子との差が開いてくるかもしれませんが・・」…なぜか、そう聞いても、疑問は残りました。でも、一年足らずの間、4度も診てもらったドクターの言葉。うん、とりあえず、信じよう。ケースワーカーさんから頂いた、転居先の「療育施設」のメモ。それを大事に持って、私たちは、友人達にお別れをしました。
2005年01月19日
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思い出は美化されるものですが、「適切な療育」が受けられたこの時期は、楽しい思い出がほとんどです。 さて、「体験入園」をした後、ようやく私達は「障害児通園施設」に通う事ができました。 実際に入ってみて分かったのが、その施設の充実ぶり。少し高台にあり、陽当たりも風通しも良く、園庭に出ると、よく庭師さんが、植え込みの手入れをしていました。 裸足で遊んでも痛くない、柔らかな砂。安全性を考慮した遊具。広い体育館。 温水プール。そして、ボランティアさんの手作りの、可愛い布のおもちゃ。・・・ 変な話ですが、「障害児の親って、幸せだな~」とも思いました。そして何より。 一番嬉しかったことは、私一人で子供に向き合わず、周りのサポートを受けられた事です。 予約を頼めば、ST(言語療法士…言葉の面で、心配がある子に、指導などをしてくれます)、ドクター(児童神経科・心療科など)に、簡単に相談ができました。 同じクラスになったママ仲間とも、カラオケに行ったり、お茶したり・・。ママ同士が仲良くなれたからでしょうか、初めはお互いを、あまり意識しなかった子供達にも、少しずつ変化が見られました。「発音が、すごくきれいになったよね」「手遊びの時、いい表情するよね」「前より、集中して課題を見てるね」・・・一歩ひいた、他人だからこそ気づける小さな変化を、喜び合う。 保育士さんの間の、ちょっとした気持ちのすれ違いには、苦笑しながらも、楽しい時間を過ごす事ができたのです。 でも、こんな「蜜月時代?」は、すぐ終わりました。ジンパパに、転勤の内示がきました・・・・。
2005年01月18日
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ふう・・(いきなりため息?)つくづく思いました。私には、まだ大きすぎるテーマでしたね、「教育」だの「言葉」だの。(14,15日の日記。)ちょっとアクセル踏みすぎるこの性格。(後に、これが大きなネックとなる出来事があるのぉ~)・・・ということで、自戒の意味を込めて、明日からもう一度、「療育日記」に戻ろうっと。・・・だいたい、まだ全然「療育」始まってないし!(苦笑)ああ~~、不適切なおばやん。。。。 頑張るな~、リモネン。 不精な私はぼちぼち、がお似合いよ♪
2005年01月17日
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ドラッグストアで、「ふーーむ・・・・。」と、ため息。スッゴイ種類の、「花粉対策グッズ&サプリ」。毎年、増えてません?? どれを選べばいいのぉ~。私にとって、なじみがないのが、「トマト成分 ナリンゲニンカルコン」。あと、「くうてい茶」。 (漢字、忘れました…)耳鼻科の薬は合わないしぃ。レーザー治療も、怖いしぃ。(んじゃ、あきらめなくちゃ~)とりあえず、「トマトのサプリ」を買って帰宅。ヨーグルトも、ほぼ毎日食べるけれど。・・・皆さんは、どのように、「対策」なさってますか?
2005年01月16日
今回も、引き続き「固め」の話になってしまいます。今、お疲れの方は、読まない方がいいかもしれません。 さて、私の長男ジンすけは、今でこそペラペラとうるさい位話す子ですが、「バナナ記念日?」(13日)で書いた通り、発語は遅く、またその発音も大変あやふやなものでした。当時、彼の診断名は「言語遅滞」だったのです。 ある休日、家族でのんびりとTVの情報番組をみていました。新作映画の紹介のコーナーの中、担当のタレントさんが、数度言い間違えたり、言葉をつかえさせていました。彼女は…おそらく、照れ隠しでもあったのでしょう。「やだぁ、私って、言語障害だわぁ~」と、笑って言いました。そのとき、私は体が文字通り「フリーズ」しました。お茶をこぼして我に返り、ふきんで拭いていると、CMが終わり、番組が再開しました。その番組の総合司会を務めるアナウンサーさんが、「先ほどは、不適切な表現がありましたことを、お詫び致します」と、頭を下げました。私は、「…こういうことなんだ」と、悟りました。そして、自分も今までこういったことをしたことを、恥じました。やっと、わかったのです。当事者の家族が、そういう形で「障害」という言葉を聞くことは、悲しいことなんだと。出産前には、思いもしませんでした。……正直に言うと、「なんで、そんなこと、いちいち抗議するんだろう?別に、悪意などないのに」と、少し疑問だったのです。でもその時、家族に隠れて泣いていた私は、こう感じました。「どんなに無邪気な言葉でも、誰かを悲しませることがあるんだ」もちろん、障害者を「こわれもの」のように扱うのは、それもある意味で不適切でしょう。(『お体のご不自由な方々』という表現に、違和感をもったことがある方は、少なくないと思います。)何らかの障害を持ちながらも、ほぼ自立し、日々の生活を楽しんでいる人も、多くいるのですから。私は身勝手な人間ですね、距離を置かれることも、やはりとてもさびしいと感じます。「じゃあ、どうすれば良いって言うの???」・・ですよね。(^^;)ひとつの誤解も無く、語り合うことは、仲の良い友人同士でも、おそらく不可能だと思います。言葉の背景、ひいては相手の人生の背景にあるものを全て理解することは、大変難しいかもしれません。でも、だからこそ、「会話・対話」をすることでしか、その壁を低くすることもできないかも……。「理解」抜きでも、会話は楽しいものであり、また意外な発見があるから、やはり気軽に言葉を投げ掛け合うというのは、良いものですよね。私も、被害者意識ばかり持って生きている訳ではないので…おもしろいんですよね、こういう人生も♪凹凸があるから、平坦な道のありがたさもわかるし。・・と言うことで、できれば皆さんからの、率直な言葉を、ばんばん聞かせて下さいね!! WITH LOVE♪(あ、私ですか? ええ、もっちろん、友人にも我が子にも、『不適切』な発言、い~~っぱい、しちゃってますよ!!) ←威張るんじゃないっての!
2005年01月15日
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最近、地方紙で見かけた「読者からの声」。そのテーマは、「60年目の自由」。今年は戦後60年…と、してはあるのだけど、今回集まっていた「声」は、主に「学校教育」について、でした。 5人の意見のみ、掲載されていたけれど、とても驚いたのが、「習熟度別のクラス分け」で、一番レベルの低い(そのままの言葉です)クラスに入った子供達に対し、その担任教師が、「ここは、一番おばかなクラスですから!」・・・と、言ったそうです。 投書は、こう続きます。・・・こどもは、やる気をなくし、個人指導をしてくれる塾へ通っている。 だから、学校の授業についていける…。私の知人で、中学校の教師…を、一人知っています。その人は、こう私に話したことがあります。「どんどん制度が変わっていって、それに合わせるのがせいいっぱい。 本当は、もっと大事なことがあるのに…。」彼女は、以前、とても「荒れた」学校に勤務していました。いろんな生徒さんの家庭へ連絡を取ったり、校内での問題に、頭を痛めていたようです。しかし・・その時の「ぼやき」よりも、「もっと大事なものがあるのに」と嘆く声は、ずっと、深いため息と共に出ていました。投書の中には、こんなものもありました。「週5日制になってから、休み時間はへり、授業の中身も詰まりすぎて、ノートも取れない、質問もできない。」最近になってから・・では、ないですよね・・。みんなが疑問に思い、みんなが窮屈な思いをしている。もちろん、今の現状を、有意義に過ごしている人も、きっと、たくさんおいでなのでしょうが・・・。……学校って、何のためにあったんでしたっけ?……
2005年01月14日
ジンすけの療育日記、番外編です。先日、書きました「通園施設」。 これ、申し込みしてから、随分長く待ったのです。その間は、「母子サークル」で、親子でお遊戯したり、家でも生活習慣を整えようと、すこしずつ工夫して、一日を過ごしておりました。そして、待ち期間の間、「一日体験」という形で、ちょっとしたお祭りに参加させてもらいました。サークルよりも、大きな施設。もちろん、人の数もずっと多い。ジンすけは、少し緊張しながらも、彼なりにお祭りを楽しんでいたようでした。その後、専門家の人に相談する機会もあり、私はジンに、どんな働きかけをしていけばよいかをいろいろと聞くことができました。毎日を過ごすことが、以前よりずっと楽しくなってきました。おそらく、私の顔つきは、不安だらけだった頃と比べて、全く変わっていたのではないかと思います。 そんなある日。いつものスーパーで、果物売り場を歩いていた時です。山積みされたバナナの横を通ると、・・「・・バァバ」 え?「バァバ」・・・!!! バナナ!? バナナのこと?「これ、のこと? バナナって・・言ったの?」「バァバ♪」 涙がでました。 ジン、2才5ヶ月。初めて、名詞と実物のマッチングが、できました。ここのバナナ、全部買って帰りたい・・・!(それは、さすがにムリなので)カゴの中に、一房だけ入れました。果物売り場で、鼻水をすする女。 いや、みっともないですね~。 「ジンすけが 初めてバナナと言ったから ○月×日はバナナ記念日」 ・・お、お粗末様です・・。
2005年01月13日
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昨日の最後、「幸せな時期」としましたが、付け加えるとすれば、「恵まれた時期」。 まさに、新しい出会いと発見、喜びを次々見つけられた一年でした。保健婦さんからの紹介で、私は「ケースワーカー」さんに会いました。ここでもまた、ジンの様子を見てその人は、心配そうな顔で、こういいました。「月に2回より、週に2回の通園施設に通ってみませんか」・・ジンは、そんなにも心配な状況なのか・・。「はい、ぜひお願いします。」「そうですか。 いや・・断るお母さんも、おいでなので・・」その時の言葉の意味を、私は身内からの反応で知ることとなります。「なんで、そんなとこ行くの? 家で、読み聞かせとかをしてあげればいいじゃないの」「そんなとこ、通ってたことを、もしジンが大きくなってから知ったら、ショックを受けるんじゃない?」私には、意外な言葉でした。彼らは、「そんなとこ」に通うことが、マイナスだと言う。私は、プラスになるだろうと思う。このあたりの、価値観の違い・・見解の相違?は、ジンが大きくなるまで、くいちがったままでした。なんにせよ、数ヶ月待った後、やっと「通園施設」に通うことが、できるようになりました。私が最初に嬉しく思ったことは、そこにはいろんな子が、当たり前のようにたくさんいたことでした。ジンと似たタイプの子もいる。手足に補助具を付け、一人であるけるように練習をしている子もいる。チューブや点滴?を付け、車椅子などで過ごす子もいる。「生きている。」 生きている・・みんなが、「生きて」いる!ここでは、誰もがその存在を認められている。その子のための場所がある。見つかった、ここが私達の居場所なんだ。大げさですが・・感激でした。そして本格的に通園が始まると、ジンはびっくりするような大きい変化を、次々見せてくれたのです。
2005年01月12日
次の日、さっそく保健センターへ連絡し、「歯科検診」がひと月後にあるので、その際に詳しく相談をすることとなりました。 それを、ただ待っているだけで過ごしたくない。私は、あの電話をきっかけに、気持ちが上向きになっているのを感じました。 億劫だった外出を、どんどんしました。近所で、週一回の「母子サークル」にも入り、ジンを他の子と同じ部屋で遊ばせることも、してみました。 やはり、公園や近所で遊ぶときよりも、「違い」がはっきりわかります。 まず、興味を持つ対象が違う。ジンは、ラジカセや、部屋の明かりのスイッチなどを、何度も触る。 他の子達は、それぞれ友達とじゃれあったり、ごっこ遊びをする。 とにかく、人や物に対する意識の仕方が、違う・・・。 ジンにとって、そこで初めて「子供の群れ」に出会うことは、驚きだったようです。なかなか輪に入らず、たまに気が向くと、遊びに加わる。 私にも、現実を見ることと、我が子に無理を強いているということ・・。 両方とも、少々しんどいことではありました。 それでも、数度通ううちに、彼にも(す~っごく)ちょっぴりずつですが、変化が見られました。 そして迎えた、相談の日。保健婦さんは、ジンすけの様子を見て、表情を曇らせました。 「月2回の療育グループがあるので、そちらを紹介します。」 私が療育という言葉を聞いたのは、多分これが最初だったのではないかと思います。 聞き慣れない言葉。 小さな不安と、期待。 でも、何かできる。 今まで何も、親らしいことを、してやらなかった。やっと、これで動くことができる・・・ 道筋を、案内してもらえたようでした。この先しばらく、私とジンにとって、幸せな時期が続いたのです。 (あ、今がす~んごい不幸ってことではないですよ、もちろん。)!!! ギリギリですが、今夜の「ニュース23」で、「発達障害の実情と支援」について、放送予定です!!!
2005年01月11日
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あの電話、私は一生忘れないでしょう。「元気~? どう、ジンすけ君、大きくなったろうね」学生時代からの友人、Kちゃんでした。 彼女は、結婚して、実家を遠く離れた地に住んでいます。 私の、当時の住所は、そこから車で1時間足らずの場所でした。「Kちゃ・・・」言葉が、続きませんでした。 ジンのことだけでなく、その時住んでいた社宅での付き合いの難しさに、私はかなり参っていました。あちこち引越して、日本中に友達ができるだろうなんて、甘い考えでした。 私にも、きっと落ち度があったのです。「どうしたの?何かあったの?」彼女は、きっと電話の向こうで、大きい目をまん丸にしていたでしょう。「あのね、ジンすけね・・」 私は、緊張が切れて、話すことができました。 ジンが、普通の子と、大きく違う事。 繰り返し注意しても、危ないことをする事。 二人で出かける時、近所の子に会うとからかわれるので、 誰もいない事を確認してから、 いそいでドアを開ける事・・。「なんで、今まで話してくれなかったの・・」 私は、友人を泣かせてしまいました。 ・・言えなかったの、心配させたくなかったもん・・「気付いてあげられなくてごめんね」・・言わなきゃ、わからなくて当然。 彼女も二人の子持ち、近くても、なかなか会えなかったのですから。「どこかに、相談はした? 保健センターとかは?」・・・あ。 恥ずかしい話ですが、私はこのときまで、全く忘れていたのです。 (何かあれば、相談してくださいね)という、保健婦さんの言葉を。 私は、次の日早速、センターへ電話をしました。ジンすけが、2才を迎える、ひと月ほど前のことでした。(ああ~~っ、ちょっとクサいですね~、ガス漏れ装置が反応するから、 換気した方がいいですよぉ~~)
2005年01月10日
さて、今日はジンと私の、愛♪にまみれた道のり・・について・・。(もうちょっと、気のきいた表現ないの?) 「療育」という言葉、ご存じでしょうか。障害児・者に、社会的な適応を促すための治療・教育・・端的に表現すると、こんな感じでしょうか? 実際は「治療」という言葉が適切でない場合もあるのですが・・、それは、おいといて。 6日の日記で、「ジンは一年障害児通園施設に通った後、保育園へ」としましたが、それは現住所に移ってからのことなんですね。 彼が保育園へ通ったのは、「年長さん」の、一年だけです。 その一年以外は、ずっと「療育施設」、または自宅で過ごしていました。 ジンが普通の子と違う、とはっきり気付いたのは、一歳半検診のときです。 指さしがない、はっきりした言葉がない、他の子供に興味がない。・・ここまで、発達の遅れがあったのに放置してしまったのは、全く、私の責任です。 ジンは、生まれてから4才になるまで、3回の引越を経験しました。 転勤等の事情からです。 1才になってすぐ、初めの引越でした。 一才検診の際にも、医師から「様子をみましょう」と言われていたのですが、新住所に慣れるのがせいいっぱいで、そのことが記憶から消えてしまっていたのです。 そして、一才半検診。 その直前に、ある出来事から「お医者さん」をひどく怖がるようになったジンは、保健婦さんの白衣や、白い壁を見て、大泣きをつづけました。 問診の際、…男の子だけですよね?「タマタマ」を、調べるんです。 もう、ジンの叫び声は、すごいものでした。 ずっと抱きかかえて、落ち着いてもらおうとした私は、すっかりヘトヘトでした。 保健婦さんからの、せっかくの言葉・・「遊び相手などは、近くにいますか?」にも、はっきりと答えず、結局そのままにしてしまいました。 この後、私は一人で悩むことが多くなりました。そんな中、それを一気に良い方向に持っていってくれる電話が、友人からあったのです。
2005年01月09日
「 皆様、「健康食品」などは、何かお気に入り・・など、ありますか? 我が家では、数種のサプリ、あとは・・「青汁」を、たまに飲みます。 ジンすけは、野菜大好きでして、もちろん青汁も大好き。 今朝は、久しぶりに飲みたがったので、・・冬って、暖かいものが欲しいですもんね。 粉末のものに、ポットのお湯を少し入れて、シェイカーで、しゃかしゃか降っておりました。 「牛乳を足そう・・」と、冷蔵庫を見たとき、「っっぽんっ!!」シェイカーのふたが開いて、ぶわっっと吹き出す青汁。 っうわぁ~・・ヤレヤレ、とあたりを拭いたのですが、雑巾は、なぜかあまり汚れていない・・。 気にしなかったので、そのまま、忘れてました。後になって、私がサプリを飲もうと、上をぐっと向いたら、・・ん?うちの天井、模様なんてあったかしら・・ 緑の水玉模様。 始めて見る柄。 そう、青汁さんは、天井までおいでになっていたのです。いやぁ~~、さすが、「健康パワー」。恐るべし、青汁。 やっぱり、説明書の通り、「水・または牛乳」で、初めから作らないと・・。 人間、素直に生きた方がいいですね~。
2005年01月08日
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冬休み、終わりましたね。とはいえ、すぐ三連休がぁ! もうこれって、「家計の赤字応援作戦」という感じですわ・・。 さて、まったりと休みを過ごした我が家。 昨日の夕方、用事を済ませがてら、ジンが現在通う学校まで、ポチポチと散歩をしてきました。 皆さん、初詣・・は、もういらっしゃいましたよね? 私、まだ行ってないんです。 ちょっと風邪気味だったので・・って、映画のレイトショー観に行く元気はあったのに?? まあ、そんな罰当たりな私ですが、やはり学校が始まるとなると、不安な気持ちにもなるわけで・・。(ここ、「純」風にお願いします) 用事のあと、通学路を二人でテケテケと歩く。 道にお願いをしながら。 「ジンのアホが、急に車道に飛び出したりしませんように・・少し乱暴な上級生から、あまりちょっかいをうけませんように・・」 でも、私の気持ちなど知らず、横でペラペラと独り言を、キンキン声でしゃべり続ける、おかしな息子・・。 (それが、嫌がらせされる原因なんだずぉ~) まあいい。 元気に通ってくれれば、さ・・。 スキップするジンに合わせて、負けずにびよ~~んと飛ぶ私。 はたから見たら、かなり不気味な親子であったでしょう。 それはいいとして、「子供だけでの登下校」が、あまり安心出来なくなってきて、寂しいですね。 通学路の脇にも、何カ所か「不審者に注意」ののぼりが立っているのを見ると、むなしい気持ちになります。 私の知人にも、お子さんが「知らない人」に車で連れ回された経験がある人が、います。 「絶対に、一人では付いて行ってはいけない」と言い聞かせてありました。 しかし。二人で歩いているときに、そういった相手に遭ったそうです。 幸い、二時間位、「ドライブ」に、強制的に付き合わされただけで済んだらしいのですが・・ 親御さんも学校も、「これからは、二人のときでも、どんな事があっても付いて行くな…と、言葉を変えなくてはいけない」と、大変ショックを受けたそうです。 ・・また、予告と違うこと書いてしまった・・。 いやぁ、知人から、「せっかくいろんな立場の人がアクセスしたり、コメントくれたりするんだから、いきなり『意見募集』!と意気込むより、少し今までのジンや、周りのことを載せていった方が、理解をしてもらえるのでは?」と、言われたのです。 んむむ~。 そんなに「抱腹絶倒」エピソードばかりでもないんですけれど・・・ いかがでしょうか、皆さん? (って、聞かれても困るぅ~。。ですよね・・。)
2005年01月07日
「あれ?予告と内容が違ってない?」と思われた方、すいません! 実は、「発達障害」が一応ここのキーワードになってますが、ちょっと内容が先走りすぎているようなんですね。 それで、今回は変更して、「ジンすけ、初の保育園へ参る」で、いってみます。 さて、ジンすけは、一年「障害児通園施設」に通ってから、保育園へ通うことになりました。 フリーページには書いたのですが、彼は「開きっぱなし・よくしゃべる自閉児」(よくいるタイプ・・かな? 開きっぱなしというのは、周りからの影響を受けやすいという意味)です。 「乱暴なことをあまりしないから、トラブルも少ないはず。健常児の中に一度移行をしましょう」と、DR.からアドバイスもあり、不安ながら、地元の保育園へデビューしました。 数度、そこで交流を持ったことがあったので、同じクラスのみんなは、とっても良い子だとわかっていました、私にはそれだけが頼みの綱・・。 初めの一週間。 それはもうみんな、ジンに興味津々でした。 いっぱい話し掛け、質問し、遊びに誘ってくれ・・。 しかし、そのことが、返ってジンには負担だったようです。 おびえるように、みんなから離れるジンに、いつしかみんなは、「なんて付き合いの悪い子だ」と、不快な気持ちを持っていきました。 「このままじゃ、みんなにも、ジンにも楽しい雰囲気を感じてもらえない・・」私は、ない知恵を絞って考えました。 【笑いを取ろう。】・・それだ。 賢明なお母さんなら、マンガやドラマのように、みんなに理解できるように説明ができるのでしょう。 しかし、私は根っからのおふざけオバちゃん。 とても、周りに納得してもらえるような話をする自信は、ありませんでした。 で、ジンに教えたことは・・「一発芸」。あとは、彼の得意の暗記芸。 ひとつ心配だったのは、彼が、それを「適切な状況」で、出来るかどうか、でした。 しかし。 これが、意外にも、とっても周りにウケたのです。 「おもしろいね!」「ジンって、へんだけど、頭いいね」 ・・そう?ほんと? 何気なく聞き流しながら、私はみんなに、心の中で、手を合わせていました。 ジンも、それまでの表情とは変わり、みんなの積極的な問いかけにも、わらえるようにまでなりました。 保育園への送り迎えも、前より苦痛ではなくなりました。 みんなが笑顔で挨拶してくれる。 ジンも、タイミングを逃すけど、良い感じに反応している。 感謝と安堵感・・胸がいっぱいでした。 ジン、君も、ほんとによく頑張ったね。 あれは、良い経験だったね・・。
2005年01月06日
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(編集しました。 もしAM中に読んで下さった方がおいでなら、すいません!) さて、私が最初に「街の中が歩きづらい」と感じたのは、妊娠中でした。 お腹が大きくなってくるにつれ、ちょっとした段差などが気になって。 もちろん産後の、子連れのお出かけでも同じ。 ベビーカーの通りにくい場所、また禁止される場所。 …ちょっと、方向がずれたかもしれません。 軌道修正。 とにかく、世の中は、多数派に都合よくできている。 それは仕方ないですよね、だって、少数派の立場ばかり考えていては、逆に大勢の人には無意味なものができる。 「それは税金のムダ」というように切り捨てられかねない・・。 ただ、結果がいつも無駄になるとは限らない。 みんなに、役だったり、安全性に貢献できるものも、中には見つかるはず・・。 一人で、自由に歩き、目的や用事を果たして、無事に家に戻る。 大抵の人なら、難なくこなせるもの。 でも、例えば肢体不自由(身体の障害)、視覚の障害のある人にとって、それはいつも容易なことではないかもしれない。 「発達障害」というのも、同じような困り感を持っています。 明日は、どんなところで彼らが困ってしまうのか、書いてみようかと思います。 独り言ですが・・誰にでも意味が通る文章は、ムズカシイですね。 私も、きちんと日本語勉強しなくっちゃ!(^^)
2005年01月05日
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数年前、友人と話していて、はっとしたこと。 電車や地下鉄の中で、ケイタイの電源を切るか、どうかについて。私)「混雑してたら切るけど、すいてたら切らない事が多いかな」友人)「でも、ペースメーカー付けてる人には、危険なんだよね。 なんでわざわざ、電車で外出するんだろう? 命にかかわることなら、混んでる電車や人混みは、避けた方がいいのにね」 …かなり、省略した表現になってるので、ちょっと友人の言葉がキツいものに聞こえるかもしれませんが、彼女の気持ちとしては、「相手を危険な目に遭わせたくない」であり、「排除したい」という意味ではないことが、わかりました。 しかし、その当時すでに、我が子が「普通の子」でないことを知っていた私には・・「自分の身を自分で守れない立場にあるなら、一人で外出しない方がいい」・・そう感じられました。 複雑な気持ちでしたねえ。 それでは、誰かに頼ったり、周りに迷惑をかけてしまう人たちは、ずっと家の中にいた方が良いのかなあ…。 明日からは、この続きを、ちょこちょこ書いて行こうかと思っています。
2005年01月04日
初めまして、リモネンと申します。とにかく、ベタの初心者です。 何かとソコツなところがあるかと思います。 どうぞ、よろしくお願いします!!
2005年01月03日
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