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テーマ:本のある暮らし(3285)
カテゴリ:ウォッチング
今から69年前の昭和16年、織田作の夕刊大阪新聞社(産経新聞社の前身)での月給は80円前後であった。それに7月と12月に賞与で100円ほど貰っているので、28歳サラリーマン記者としての年収は1,160円となる。
そのかたわら、小説『青春の逆説』などの原稿をせっせと書いており、原稿料など加えると年収は4,756円と、月給の4倍以上に達する。現代でいえば、500万円クラスの年収で、当時の物価の安さ(そば16銭)や織田作の長屋家賃が月23円であることを勘案すれば、かなり可処分所得は多く、豊かな暮らしが出来るレベルである。 ちなみに、この当時の教師の初任給(16年)が55円、公務員初任給(12年)75円、軍人給与で軍曹86円、三菱、三井、住友の大手商社の帝大卒業生の初任給(昭和2年)80円である。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2010年12月30日 00時47分31秒
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