|
テーマ:本のある暮らし(3315)
カテゴリ:ウォッチング
織田作之助が昭和16年3月に掛買いした瀧井孝作『無限抱擁』。たまたま、天牛書店で岩波文庫版を150円で先月買ったのを読んだ。
この作品は大正10~13年に4編に分けて雑誌に発表され、昭和2年には単行本として刊行されている。読んだ文庫版は昭和16年2月に刊行されており、織田作はこれを早速40銭(現在の400~500円)で買ったものであろう。 内容は瀧井自身の体験にもとづく、愛妻・哀傷物語であるが、そもそも夫人は吉原遊郭の娼婦であった、そして親にそのことを告げずに、結婚する。そして、楽しい新婚生活も彼女の結核、その介抱の末に儚い終末となってしまう。 その事実をあからさまに、会社勤めしながら瀧井は書きはじめ、結果として作家として世に出ることになる。 初め読みながら、デュマ・フィスの『椿姫』を想起させたが、派手な生活が描かれるわけでなく、東京下町での慎ましやかな借家生活が舞台である。 瀧井自身が巻末に述べているが、もともと「夢幻泡影」という儚さを頭に浮かべていたが、もっと積極的に愛情表現をと考えて「無限抱擁」という標題にしたそうだ。 織田作は、18年4月に発表した『わが文学修業』で、「大学へ行かず本郷でうろうろしていた二十六の時、スタンダールの『赤と黒』を読み、いきなり小説を書きだした。スタイルはスタンダール、川端氏、里見氏、宇野氏、滝井氏から摂取した。」と書いており、この瀧井にも学んだのであり、後に会う機会も得たと記している。(26歳とあるが、実際には満年齢で24歳の昭和13年の時) 瀧井から織田作が学んだもの、それは庶民の目線? それと、主人公が結核で亡くなるというあたりには関心があった? カフェにいた愛妻の境遇に似通ったものがある点? ただ、後に織田作の一枝夫人はガンに伏したから、二人はこの小説を思い浮かべ反芻したろう。 そして、織田作は一枝を無限に抱きしめたい心情を抱いたであろう。 瀧井は志賀直哉を師を仰いでおり、志賀には公私において世話になっていおり、志賀夫妻の媒酌で再婚し、志賀が奈良に移転したときには、追っかけけ移っているほどだ。この点、志賀嫌いの織田作ではあったが、芥川賞選考委員でもあった瀧井には親しみを覚えていたのであろうか。 なお、瀧井は元々俳句が好きで、河東碧梧桐や荻原井泉水に早くから認められている。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
[ウォッチング] カテゴリの最新記事
|
|